イ・ヨンスお婆さんの証言
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/04/30 02:48 投稿番号: [58769 / 60270]
>イ・ヨンスお婆さん
>15歳の時に英文も分からなかったまま日本軍に捕まって慰安婦生活を始めた
>このお婆さんは自分が慰安婦生活をしながら受けた電気拷問の後遺症で未だ苦しんでいる。
>「日本は最後まで嘘をついて欺いて、また欺いている」と慨嘆した。
また証言が変わっている。(笑)
軍の「慰安所」なのか、単なる「売春宿」なのかも不明です。
どうよ、japanese_chosunさま、このデタラメさ加減は。(笑)
--------------------------------
李容洙(イ・ヨンス)
米国議会は「元慰安婦証言」を検証する責任がある
(前略)
次の李容洙という人はかなり詳細な証言がある。最初のものは、元慰安婦による「証言」といわれるものの嚆矢である韓国挺身隊問題協議会が行った証言記録に収録されている(1992年に採録。以下92年証言と略)。一方、最近の証言もある。例えば、ネット上に出ている一昨年4月の証言集会での記録がある(以下、05年証言と略)。しかし、この二つには大きな違いがいくつもある。ポイントをしぼって紹介すると、例えば、家を出る経緯は92年証言ではこうなっている。
一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。(略)……それから何日かたったある日の明け方、プンスン(引用者註・友人で「飲み屋」の子ども)が私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。
母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。……行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に服の包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。包みをそうっと開けてみると、ほんとうに赤いワンピースと革靴が入っていました。それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。私を入れて娘たちが全部で五人いました。
貧しさゆえに、友人の慫慂に応じ、女衒に着いていったという話である。ところが、05年の証言では、筋書きが変わってくる。
私はいつも母と一緒に寝ていたのですが、ある日の夜寝ていたら、コソコソと音が聞こえました。起きて見てみたら、ある女性が首のほうに何かを突きつけられながら、こちらを覗いていました。それでそこをよく見てみたら、帽子を深くかぶった軍人が立っていました。その女性が、私を見て何も言わずに手振りで私を呼んでいたので、私は怖くなり、部屋を出て外の居間のところで座っていました。するとその女性と軍人が一緒に居間まで入ってきて、その女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時軍人が、私の背中に何かを突きつけていました。そういう風に私は連れ去られていきました。
「赤いワンピースと革靴」がほしくて、友達の誘いに応じて「国民服」を着た日本人、つまり民間人について行ったという話が、知らない女性と軍人が家の中まで入ってきて、女性には手で口を塞がれ、軍人には背中に何かをつきつけられて連れて行かれたという、まったく違う話に変わってしまっている。
また、この人は結局、大連から台湾へと渡るのだが、そこでの待遇も92年には、
軍人たちに殴られたことはありませんが、経営者にはたくさんぶたれました。
と証言していたのだが、05年になると、
倉庫の扉を開けてみると、大きい丸いテーブルと小さい丸い椅子がありました。そしてそこへ、(引用者註・軍人が)私を押し込みました。
入った途端に髪をつかまれて、椅子に座ろうとすると、石よりも硬い軍靴で私の腰を蹴飛ばしました。蹴られたときに内臓がえぐられたように痛くて、床に横たわっていると、また髪の毛をつかまれて、椅子に座らされて、刀で太ももの肉をえぐられました。
と変わっている。
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=411
>15歳の時に英文も分からなかったまま日本軍に捕まって慰安婦生活を始めた
>このお婆さんは自分が慰安婦生活をしながら受けた電気拷問の後遺症で未だ苦しんでいる。
>「日本は最後まで嘘をついて欺いて、また欺いている」と慨嘆した。
また証言が変わっている。(笑)
軍の「慰安所」なのか、単なる「売春宿」なのかも不明です。
どうよ、japanese_chosunさま、このデタラメさ加減は。(笑)
--------------------------------
李容洙(イ・ヨンス)
米国議会は「元慰安婦証言」を検証する責任がある
(前略)
次の李容洙という人はかなり詳細な証言がある。最初のものは、元慰安婦による「証言」といわれるものの嚆矢である韓国挺身隊問題協議会が行った証言記録に収録されている(1992年に採録。以下92年証言と略)。一方、最近の証言もある。例えば、ネット上に出ている一昨年4月の証言集会での記録がある(以下、05年証言と略)。しかし、この二つには大きな違いがいくつもある。ポイントをしぼって紹介すると、例えば、家を出る経緯は92年証言ではこうなっている。
一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。(略)……それから何日かたったある日の明け方、プンスン(引用者註・友人で「飲み屋」の子ども)が私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。
母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。……行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に服の包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。包みをそうっと開けてみると、ほんとうに赤いワンピースと革靴が入っていました。それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。私を入れて娘たちが全部で五人いました。
貧しさゆえに、友人の慫慂に応じ、女衒に着いていったという話である。ところが、05年の証言では、筋書きが変わってくる。
私はいつも母と一緒に寝ていたのですが、ある日の夜寝ていたら、コソコソと音が聞こえました。起きて見てみたら、ある女性が首のほうに何かを突きつけられながら、こちらを覗いていました。それでそこをよく見てみたら、帽子を深くかぶった軍人が立っていました。その女性が、私を見て何も言わずに手振りで私を呼んでいたので、私は怖くなり、部屋を出て外の居間のところで座っていました。するとその女性と軍人が一緒に居間まで入ってきて、その女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時軍人が、私の背中に何かを突きつけていました。そういう風に私は連れ去られていきました。
「赤いワンピースと革靴」がほしくて、友達の誘いに応じて「国民服」を着た日本人、つまり民間人について行ったという話が、知らない女性と軍人が家の中まで入ってきて、女性には手で口を塞がれ、軍人には背中に何かをつきつけられて連れて行かれたという、まったく違う話に変わってしまっている。
また、この人は結局、大連から台湾へと渡るのだが、そこでの待遇も92年には、
軍人たちに殴られたことはありませんが、経営者にはたくさんぶたれました。
と証言していたのだが、05年になると、
倉庫の扉を開けてみると、大きい丸いテーブルと小さい丸い椅子がありました。そしてそこへ、(引用者註・軍人が)私を押し込みました。
入った途端に髪をつかまれて、椅子に座ろうとすると、石よりも硬い軍靴で私の腰を蹴飛ばしました。蹴られたときに内臓がえぐられたように痛くて、床に横たわっていると、また髪の毛をつかまれて、椅子に座らされて、刀で太ももの肉をえぐられました。
と変わっている。
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=411
これは メッセージ 58765 (japanese_chosun さん)への返信です.