唐人行―その隠れた歴史−2
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/03/28 14:31 投稿番号: [55967 / 60270]
結局明治政府が意図したとおり失業状態の芸・娼婦たちは香港、シンガポール、ベトナム、フィリピンなどへ外貨稼ぎに海外に出たのだ。彼女らがさすがの唐人行(中国と貿易をしながら派生した言葉で江戸時代から第2次世界大戦の戦場に至るまで東南アジア全域にかけて外貨稼ぎのために外国に出た日本の女の呼び方。現代のホステスに該当)の嚆矢となる。ちなみに彼女らと一緒に日本国内でぶらぶらしていた文無しののらくら、前科者たちが彼女らを保護ないし管理するとの名目で海を渡った。自然に日本の女たちと彼らは連中となった。
どこの国の男だって多分、女が嫌いな人はいないはずだ。のみならず日本女のなまめかしい笑い声と肌臭がぐなぐなする濃艶な姿は、どこの国に行っても金持ちの心を蕩かした。彼女らが東南アジアへ広がって一番最初定着した所が各国の港だった。港町は船乗りが多く集まり、また外国女子に対する拒否感が一般人と比べ、ほとんどない。それに商売活動が活発なのでそれほど現金流通が円滑である。どうせ体を売りお金を稼ぎに来た日本の女たち。商売のよくできる港町に集まるほかない。そこで東南アジアの港にはどこにも嬌態満点の日本の女と酒があり、そこには自然的にお金と男が集まった。着物のある所には常に男が溢れ、人気があるほどお金は着物のノーパンの中、子宮の中に流れ入った。確かな外貨稼ぎをしたのだ。
このように商売が美味くなると今度は組織的に女たちを送出しはじめた。明治20年(1887年)までは状況により散発的に女子たちが海外に出たが、ある程度、基が着くと、てんから計画的、組織的に女子たちを集めて各国に送りはじめたのだ。
(続き)
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