>>>近代化とは?鉄道
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2005/06/27 00:19 投稿番号: [49950 / 60270]
日韓併合前に出来た事だけを捉え、さも朝鮮が独自でやった如く言うなぁ。
またまた、大嘘つきの卑劣な糞チョン
京釜線、京義線とも日露戦争の物資輸送のため日本が突貫工事で敷設したもの。
これには、日韓合邦嘆願書を上奏した100万人の党員を有する一進会の朝鮮人が鉄道建設に参画した。又、新義州から満州へは鉄道敷設が出来なかったので、一進会員の朝鮮人が40数万名、日本のために物資を満州奥地まで自発的に運んだ。
Wikipedia百科事典
元々は1904年、日露戦争の物資輸送のために、日本が京城(現・ソウル)から北朝鮮と中国の国境の新義州(シニジュ)までを突貫工事で結んだ鉄道(全長499.3Km)が起源になっている(1905年開通、1906年4月3日全線(ソウル〜新義州)開通。)。京城(ソウル)の京と新義州の義を取って京義線と呼んだ。
1908年4月には釜山〜新義州間に急行列車「隆熙(ユンヒ)号」が運行を開始。1911年11月には安東〜新義州間の鴨緑江鉄橋が完工したことによって、1913年からは京義線・満鉄線・シベリア鉄道経由で京城からロンドン行のチケットも発売された。さらには、日本の東京などからも京釜線・関釜連絡船を介して連絡乗車券が販売されたという。詳しくは国際連絡運輸を参照。
新義州から満州地方にも鉄道線がのびており、1930年・1940年代には京釜線・京義線・満鉄線を結んで、釜山から満州国までの大陸連絡急行列車「ひかり」・「のぞみ」・「大陸」・「興亜」などが走っていた。
第二次世界大戦の影響で1945年9月11日に京義線は南北に分断され、38度線の手前で止まっており韓国側はソウルからムンサンまでの46Kmを結ぶローカル線になった。北朝鮮側では開城から新義州までを結び、平壌以北を平義線、平壌以南を平釜線(京釜線のソウル〜釜山間を含む)と呼ぶ。
これは メッセージ 49928 (inishieni さん)への返信です.
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