韓国にも資格があるとは胸をはっていえない
投稿者: soriyu 投稿日時: 2001/05/20 17:12 投稿番号: [4583 / 60270]
以下引用
終戦時、朝鮮独立派のリーダーの一人・金九は重慶で祖国上陸を夢見て韓国光復軍を編成し、訓練を積んでいたが、日本降伏の報に接して、天を仰いで長嘆息し、次のように言ったと伝えられている。
韓国軍は日本軍を打ち破ることは一度もなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。
それでは韓国の「光復」はいかにもたらされたのか?
昭和20年8月15日に終戦を迎えると、朝鮮総督府の遠藤柳作・政務総監は朝鮮語新聞「中央日報」社長・呂運享と会い、一切の統治機構を韓国人の自治組織に引き渡すことを申し出た。
呂運享は、その日の夕方、自らを委員長とする「朝鮮建国準備委員会」を組織して、総督府から治安維持の権限を引き取り、放送局や新聞社などの言論機関を引き継いだ。建物という建物には、民族の旗「太極旗」が翻った。
しかし連合軍は8月16日に総督府に機密命令を発し、しばらく朝鮮統治を続け、統治機構を保全したまま連合軍に引き渡すように命令した。18日、総督府はやむなく行政権を取り戻した。太極旗が下ろされ、ふたたび日章旗が掲げられた。
朝鮮側は激怒したが、なすすべはなかった。呂運享は半島全土に「朝鮮建国準備委員会」の支部を作らせ、ソウルに1千名余りの代議員を集めて、「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言したが、米ソ両国はこれを無視した。
9月8日、米軍が仁川に上陸すると、「朝鮮人民共和国」の代表が迎えたが、まったく相手にされず、逆に500人ほどの朝鮮人が太極旗を掲げ、花束をもって米軍に近寄ろうとしたら、米軍が勘違いして発砲し、多数の重軽傷者が出る有様だった。
9月9日、アメリカ側は沖縄第24軍団ホッジ中将、第57機動部隊司令長官キンケード大将、日本側は朝鮮総督・阿部信行大将、朝鮮軍管区司令官・上月良夫中将との間で、休戦協定が結ばれたが、朝鮮側はまったく蚊帳の外に置かれていた。
ルーズベルト大統領はヤルタ会談で、朝鮮半島は独立させず、連合国による信託統治とし、その期間は20年から30年くらい必要だと述べていた。
なぜ米国はこれほど徹底して朝鮮独立勢力を無視したのか? 一つは韓民族としてまとまって国家を運営していく準備があるのか、という疑問があった。現実に「光復」後も朝鮮独立のリーダー達は内部抗争に明け暮れ、呂運享も、その政敵だった宋鎮禹も、そして「暗殺の神様」と言われた金九自身も、政争の中で暗殺されている。
これは メッセージ 4582 (baekhyme さん)への返信です.
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