再々度、chavitalさんへ
投稿者: _Lupin_The_Fourth_ 投稿日時: 2001/05/18 02:15 投稿番号: [4389 / 60270]
この問題は、人は利己主義的であるべきか、自己犠牲的であるべきかという問題と解釈していいと考えます。
もし戦闘において、他人を殺すことを何らかの理由で躊躇し、そのために自分が殺されることを選択したならば、その人は非常に強い自己犠牲的行動を取ったと表現することができます。その自己犠牲的行動を取った人は、自分を殺そうとする相手の命を守ることが、自分の命よりも価値あることだという考えを持ったということになります。
一方でその同じ人が、世の中のあらゆる競争に積極的に取り組むならばそれは大きな矛盾であると私は考えます。自分を殺そうとする相手のために自分の命まで差し出そうとするほどの自己犠牲的精神の持ち主がなぜ、たかだか志望校に入りたいという欲求や、恋人を得たいという欲求程度のものを他人のために投げ出そうとしないのでしょうか?
もし、「戦争において相手を殺すくらいなら自分が殺される方を選ぶ」という考えを、自己犠牲適精神の観点からとらえているとしたならば、その自己犠牲的精神をつらぬいて、世の中のあらゆる競争に対してわざと負けてやる、つまりあらゆる欲望を捨て去るということをしなければ、その人は自分の主義に不誠実であり、大いなる自己矛盾をかかえた人物ということになってしまいます。
もし、世の中のあらゆる競争に積極的に参加し、自分の欲望を満たすために行動することを今までに選んできているとしたならば、戦争で自分を守るために他人の命を奪うことはなんら矛盾をはらまない事柄です。人は自分が気づいているかどうかはわかりませんが、自分が幸せになったことにより、誰かを大いに悲しませてきているのです。
利己主義的であるべきか、自己犠牲的であるべきかは私にはわかりません。しかし、戦争で敵のために自分が殺されることを選ぶくらいの自己犠牲適精神で生きるということは、同時に俗世間のあらゆる欲望を捨て去ることを意味するのではないでしょうか。それは「あらゆる欲望を捨て去り今すぐにでも自分の命を絶つ」こととほとんど変わりがないようにも思えます。
「敵のために自分が殺されるべきか否か?」
という問題は、
「競争社会の世の中で生き続けるべきか、それとも今すぐ自殺するか」
という問題と等価であると言っても過言ではないと私は考えますが、言い過ぎでしょうか?
もちろん生き続けるべきか、今すぐ自殺するべきかを選択するのはその人次第であると考えます。
(トピの主題と全く関係ないのでこれくらいでやめておきます。自分の意見に対し真っ向から対立意見を出されるのは不愉快かもしれませんが、どうかお許しを。)
これは メッセージ 4363 (chavital さん)への返信です.
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