>李朝は対馬にも勝てなかった。(笑)
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/02/05 22:36 投稿番号: [43199 / 60270]
trip_in_the_nightさん、どうもです。
>日朝貿易の日本からの輸出品には、日本産の鉱物だけでなく、多くの「東南アジア産」の紅色染料、香辛料、薬材などがあり、李朝にとって対馬との貿易は貴重です。
inishieni君が喚いていたように、15・16世紀の日本は島国に閉じこもっていたのではなく、
①東南アジアー琉球ー薩摩ー博多ー堺ルート、②朝鮮ー対馬ー博多ー堺ルート、
③明ー博多ー堺ルート、さらに④南蛮ルートが加わり、多国間と複雑な交易をしています。
この恩恵を、鎖国の李朝も十分に享受していたのですが。
不思議ですね。(笑)
わざわざ「日本」から「東南アジア」のものを輸入するだなんて。(笑)
いずれにせよ、日本にも双方それぞれに利益があったわけですね。
>イギリスは薩摩をガツンとやるつもりが、イギリスも薩摩にガツンとやられて、両者は痛み分け。
結果、薩摩はイギリスと友好貿易関係を結び、両者利益を得る。
ここまでは、「応永の外寇」と同じ構図です。
ただ薩摩(と長州)はイギリスと戦った後に、能動的積極的に開国論に転じていく進取の精神がありました。
国際情勢を見ることに誤りがなかった。
李朝はじっと動かない。宗氏の貿易攻勢に終始受身的で、それを排除しようと努める(三浦の乱)。
李朝が自ら東南アジアに出て行く気概があれば、あんな国にはならなかったでしょう。
そうですね。一つの事件があって、その後の双方の対処がどうなのかで、その後の命運も決まるという事でしょうか。
薩英戦争は、戦死者の数だけなら、イギリスの方が多く、また、停泊中のイギリスの軍艦の中には、錨の鎖を切って逃走するものもいたなど、海軍としては最も不名誉な失態を演じています。(大砲の性能はイギリスの方が遥かに優っていましたが。)
イギリスは、まあ反幕府勢力としての薩摩に目をつけた一面もあるでしょうが、イギリスは国際法にうるさく、薩摩が無条件降伏した徳川慶喜を徹底的に叩く事に反対し、薩摩の西郷らもそう言うイギリスに同意しています。自画自賛的な言い方は避けたいのですが、気概があるもの同士は、相互理解も早いものです。
いわば、結果的にイギリスは明治維新を助けた形になりました。
それもこれも、薩摩も主力の一つとなった明治政府が開国政策を積極的に取る事を表明していたからですよね。
薩摩側も、最後の藩主島津忠義が世子忠重(後に海軍少将・貴族院議員)の家庭教師として、イギリス人ハワード女史を招き、イギリス式の教育を依頼しました。(忠義の父、久光が生きていたらどうなっていたかは分かりませんが。)
これは メッセージ 43167 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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