日本は何故、反省しないのか?

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>>>>たった一度の合戦

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/02/05 14:57 投稿番号: [43167 / 60270]
>なんと言うか…こういう展開もあるものですねえ。釣魚権まで獲得して…。
>それとて、宗氏が海上の密貿易や海賊にニラミをきかせれば、朝鮮にとっても助かる事ですし。

さらに展開して、鎖国主義の李朝は日本人の交易渡航場所として、富山浦(釜山)、乃而浦(斉浦)と塩浦(蔚山)の三港、いわゆる三浦(サンポ)に限定しましたが、
やがて三浦には対馬の人々3千人以上が定住して、貿易、農業や漁業を営み始めます。
宗氏は代官を派遣して、日本人定住者(恒居倭)を支配し、課税するという権限を取得しました。
治外法権の日本人租界、居留地です。李朝は対馬にも勝てなかった。(笑)
これは、ご指摘の通り、宗氏と李朝のギブ・アンド・テイクですが、李朝は押され気味です。(笑)
やがて江戸時代、朝鮮外交の窓口として10万石「待遇」の大名に名を連ねる対馬宗氏はしたたかですね。

日朝貿易の日本からの輸出品には、日本産の鉱物だけでなく、多くの「東南アジア産」の紅色染料、香辛料、薬材などがあり、李朝にとって対馬との貿易は貴重です。
inishieni君が喚いていたように、15・16世紀の日本は島国に閉じこもっていたのではなく、
①東南アジアー琉球ー薩摩ー博多ー堺ルート、②朝鮮ー対馬ー博多ー堺ルート、
③明ー博多ー堺ルート、さらに④南蛮ルートが加わり、多国間と複雑な交易をしています。
この恩恵を、鎖国の李朝も十分に享受していたのですが。

>薩英戦争と、すこーしだけ、似ているかな。

イギリスは薩摩をガツンとやるつもりが、イギリスも薩摩にガツンとやられて、両者は痛み分け。
結果、薩摩はイギリスと友好貿易関係を結び、両者利益を得る。
ここまでは、「応永の外寇」と同じ構図です。
ただ薩摩(と長州)はイギリスと戦った後に、能動的積極的に開国論に転じていく進取の精神がありました。
国際情勢を見ることに誤りがなかった。
李朝はじっと動かない。宗氏の貿易攻勢に終始受身的で、それを排除しようと努める(三浦の乱)。
李朝が自ら東南アジアに出て行く気概があれば、あんな国にはならなかったでしょう。
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