日本は何故、反省しないのか?

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

>キル・レシオ→約 1:24

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/02/04 01:53 投稿番号: [43117 / 60270]
>朝鮮軍は、首級104をあげるなど戦果をあげた。

奇襲で、しかも相手は島の留守番役の老人、女、子供を含めた数ですからねえ。

>朝鮮軍は2,500余人の損害を出した。

弱いなあ。

応永の外寇を、李朝では「己亥(きがい)の東征」と呼んでいますが、「東征」というほどの勇ましいものではありません。
65日分の食料を用意しながら、たった一度の合戦に惨敗して大損害を出し、風向きを心配して2週間で尻尾を巻いて退散したのですから、本当に情けない。
負けに行ったような「東征」です。

これじゃあ、倭寇なんて取り締まれる訳がない。
しかも倭寇の実態は朝鮮人がほとんどですから、対馬へは八つ当たりの出兵です。

************************************

『対馬は90%が山林で、博多まで147km、釜山までは53kmである。
この立地条件から、基本的に対馬島民は煮塩、魚を朝鮮半島に運び、米・豆を得、海運業や通行税を取り立てて生活していた。飢饉になるといわゆる海賊になりやすかった。
従来朝鮮との通商が認められ、その際には、朝鮮の懐柔策として歳賜米・豆あわせて200石が賜給されていたが、この頃は途絶えていた。
つまり、交易を禁じられ、賜米もない。しかもこの1419年夏は飢饉となり、島民は明に向かった。その途中、朝鮮沿岸の忠清道を掠める事件が起きる。
この報を聞いた李朝の太宗はこの隙に乗じて対馬を討伐する挙に出る。これが応永の外寇である。
朝鮮軍の李従茂は65日分の食料をもって1万7285人の大軍で6月20日対馬を奇襲する。
仲間が戻って来たものと思っていた島民は、酒肉を用意していた所であったからたまらない。
朝鮮軍は対馬の船129艘と民家1939戸を焼き払い、114人を斬り、21人を捕虜にした。
しかし、26日に仁位郡の糠嶽合戦で対馬の伏兵に敗れて、朝鮮軍は百数十人が戦死した。
この機をとらえて対馬島主の宗貞盛は書を送って、兵の退去と修好を求め、「7月中はつねに風変があるから長く留まるのはよくない」と述べた。
すると朝鮮軍は7月3日に帰国した。

宗貞盛と李朝の太宗の子世宗との間で貿易条約が締結されたのは、1443年である。』

九州大学佐伯弘次「日本史の舞台」集英社の要約
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)