んで、朝鮮はというと
投稿者: amityansukijp 投稿日時: 2005/01/22 16:51 投稿番号: [42335 / 60270]
イザベラ・バード
『朝鮮紀行』1897年より
ソウルを描写するのは勘弁してもらいところである。北京を見るまで私はソウルこそ、この世で一番不潔な町と思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどい匂いだと考えていたのであるから。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二十五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体及び液体の汚物を受ける穴か溝で狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしている。(中略)ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。
「悲劇の朝鮮」 アーソン・グレブスト 1912年 (高演義・河在龍訳 1989年 白帝社)
いよいよ待望の監獄見物のときがきた。私たちは立ち上がって庭に出た。窓に鉄格子があり錠のかかった小さな建物の前で足を止めた。錠をあけ、高い門柱をくぐって、天井の低い部屋にはいっていった。足元には古びてすっかり壊れてしまった汚らしいかますが散らばっており、壁には何本もの鎖や滑車、石塊などが掛かってあった。障子にはあちこち穴があいており、屋根にも隙間が多くて、吹きつける風に室内はまるで氷のように冷たかった。(中略)ところが私には疑問がひとつ湧いてきた。この国にキリスト教が布教されてもうだいぶ経ったし、西洋の文化大国がこの国の行政の各部門を助けてからも一日二日でないのに、なぜ今だのこのような野卑きまわりない拷問が続いているのか。エンバリーの言うように、獄内の出来事に関する生きた証拠が整っていないという、それだけの理由だろうか。それともほかの理由がまだあるというのか。理由がなんであれ、こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥ずべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
こういうのは第三者だから、客観性があるよなwww
ソウルを描写するのは勘弁してもらいところである。北京を見るまで私はソウルこそ、この世で一番不潔な町と思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどい匂いだと考えていたのであるから。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二十五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体及び液体の汚物を受ける穴か溝で狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしている。(中略)ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。
「悲劇の朝鮮」 アーソン・グレブスト 1912年 (高演義・河在龍訳 1989年 白帝社)
いよいよ待望の監獄見物のときがきた。私たちは立ち上がって庭に出た。窓に鉄格子があり錠のかかった小さな建物の前で足を止めた。錠をあけ、高い門柱をくぐって、天井の低い部屋にはいっていった。足元には古びてすっかり壊れてしまった汚らしいかますが散らばっており、壁には何本もの鎖や滑車、石塊などが掛かってあった。障子にはあちこち穴があいており、屋根にも隙間が多くて、吹きつける風に室内はまるで氷のように冷たかった。(中略)ところが私には疑問がひとつ湧いてきた。この国にキリスト教が布教されてもうだいぶ経ったし、西洋の文化大国がこの国の行政の各部門を助けてからも一日二日でないのに、なぜ今だのこのような野卑きまわりない拷問が続いているのか。エンバリーの言うように、獄内の出来事に関する生きた証拠が整っていないという、それだけの理由だろうか。それともほかの理由がまだあるというのか。理由がなんであれ、こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥ずべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
こういうのは第三者だから、客観性があるよなwww
これは メッセージ 42333 (amityansukijp さん)への返信です.