スターリングラード
投稿者: josyojack 投稿日時: 2001/05/13 06:28 投稿番号: [3974 / 60270]
スターリングラードで包囲された枢軸軍は11月23日時点で24万6千人(ルーマニア軍1万3千人、ソ連人部隊1万9千人を含む)。
降伏までに飛行機で後送されたもの(傷病者、特殊技能者等)は約4万2千人。
ソ連側の捕虜報告は降伏前に1万6千8百人と降伏後9万1千人。
降伏までの2ヶ月で約7万人が死んだ計算となります。
また、この10万7千余の捕虜は翌年春までに80%以上亡くなります。原因は降伏当時すでに凍傷、飢餓で弱っていたうえに移送中のチフスの大量発生と言われています。ソ連側は物資不足で適当な処置ができませんでした。もちろん敵意もあったと考えるのが妥当でしょう。この辺りのソ連側の記録、発表は明らかではありません。
1958年の西ドイツ政府の発表では約5000人が帰国。
ソ連国内や当時の東側にも残った人もいることは当然予想されます。
スターリングラードやレニングラードの悲劇は余りに大きく、アメリカやイギリス軍が被害者となった悲劇(マルメディーやバターン)は事故程度に思えてしまいます。
これは メッセージ 3965 (shinkuuboakagi さん)への返信です.
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