bj君の英文読解力と歴史知識
投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2004/05/12 11:42 投稿番号: [36317 / 60270]
こういうものをだすところが、jb君の限界だね。
nine American missionaries who remained in Nanjing throughout the Massacre.
When Nanjing fell to the Japanese, there were twenty-seven Westerners remaining in the city; of these fifteen were Americans
たった9人や27人ででよく正確に勘定できたものだ。それも、危険な場所を隅から隅までよくみれたものだ。
because he was a German and a member of the Nazi Party. Germany was strengthening its alliance with Japan during this time period and it was of no possible personal gain to Rabe for him to expose the Japanese atrocities
ラーべがドイツ人であり、ナチのメンバーだったから、日本について不利なこというはずがない。そういうことを言う利益もないはず? だから、彼の言うことは信用できる?
昭和12年ころといえば、前年に結ばれた日独防共協定があったが、日本とドイツが関係を強化する三国同盟の何年も前。 当時のドイツは新中国だよ。自分の新中国的政策を弁護して、日本をむしろ非難している。おまけに、当時ドイツから蒋介石のところへ軍事顧問団まできてたよ。 上海戦の中国側作戦はドイツ人の立案したものだよ。
名将と言われる人も生涯で多数の方法を案出することはできない。
「あらゆる行動は奇襲に基礎をおくべきである。奇襲なくては偉大な成果をあげることは不可能だ。」「戦略予備は成功の得られた場所へ、それを拡大するために投入しなければならぬ。たとえそれによって最初の攻撃の重点が移動することになったとしても構わない。」…一軍人の思想より
これがゼークトの統帥の第1義であり、ゴルリッツから変わることはなかった。そしてこれがドイツ軍事学の限界なのだろう。またゼークト攻撃理論を裏返せば、防御側は奇襲を防止し攻撃側戦略予備の動きを制限すればよい。(攻撃側の発起点における戦線を長大化させ、横1線に満遍なく配置させればよい。)
これを逆手にとったのが上海攻防戦の日本軍である。ゼークトは蒋介石に軍事顧問として派遣され、日本軍撃破の秘策を授けた。
「日本軍を挑発し攻勢に出させることだ。そうすれば奇襲を避けることができる。上海全周に塹壕とトーチカ(強化された機銃ポスト)をめぐらし、そこに日本軍をおびき寄せ、攻撃させ、撃破すればよい。それには日本軍の黄哺江沿いの上陸は放置し、呉淞クリークで防ぐことだ。戦線が長くなることは歓迎である。」
ところが旧軍はこういったドイツ軍の思考方法をドイツ人よりよく知っていた。わざわざ戦線を拡大し、できた突起部にたいし多点をもって浸透戦術で突破を計った。この方法にたいしドイツ軍事学は連合国の最終攻勢と同じく対抗策を持ち得なかった。中国軍はカポレットー的敗戦をこうむり、ほとんど南京城外にかけて殲滅された。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/weimal/seekts%20insistance.html
http://ww1.m78.com/topix-2/hapro%20treaty.html
nine American missionaries who remained in Nanjing throughout the Massacre.
When Nanjing fell to the Japanese, there were twenty-seven Westerners remaining in the city; of these fifteen were Americans
たった9人や27人ででよく正確に勘定できたものだ。それも、危険な場所を隅から隅までよくみれたものだ。
because he was a German and a member of the Nazi Party. Germany was strengthening its alliance with Japan during this time period and it was of no possible personal gain to Rabe for him to expose the Japanese atrocities
ラーべがドイツ人であり、ナチのメンバーだったから、日本について不利なこというはずがない。そういうことを言う利益もないはず? だから、彼の言うことは信用できる?
昭和12年ころといえば、前年に結ばれた日独防共協定があったが、日本とドイツが関係を強化する三国同盟の何年も前。 当時のドイツは新中国だよ。自分の新中国的政策を弁護して、日本をむしろ非難している。おまけに、当時ドイツから蒋介石のところへ軍事顧問団まできてたよ。 上海戦の中国側作戦はドイツ人の立案したものだよ。
名将と言われる人も生涯で多数の方法を案出することはできない。
「あらゆる行動は奇襲に基礎をおくべきである。奇襲なくては偉大な成果をあげることは不可能だ。」「戦略予備は成功の得られた場所へ、それを拡大するために投入しなければならぬ。たとえそれによって最初の攻撃の重点が移動することになったとしても構わない。」…一軍人の思想より
これがゼークトの統帥の第1義であり、ゴルリッツから変わることはなかった。そしてこれがドイツ軍事学の限界なのだろう。またゼークト攻撃理論を裏返せば、防御側は奇襲を防止し攻撃側戦略予備の動きを制限すればよい。(攻撃側の発起点における戦線を長大化させ、横1線に満遍なく配置させればよい。)
これを逆手にとったのが上海攻防戦の日本軍である。ゼークトは蒋介石に軍事顧問として派遣され、日本軍撃破の秘策を授けた。
「日本軍を挑発し攻勢に出させることだ。そうすれば奇襲を避けることができる。上海全周に塹壕とトーチカ(強化された機銃ポスト)をめぐらし、そこに日本軍をおびき寄せ、攻撃させ、撃破すればよい。それには日本軍の黄哺江沿いの上陸は放置し、呉淞クリークで防ぐことだ。戦線が長くなることは歓迎である。」
ところが旧軍はこういったドイツ軍の思考方法をドイツ人よりよく知っていた。わざわざ戦線を拡大し、できた突起部にたいし多点をもって浸透戦術で突破を計った。この方法にたいしドイツ軍事学は連合国の最終攻勢と同じく対抗策を持ち得なかった。中国軍はカポレットー的敗戦をこうむり、ほとんど南京城外にかけて殲滅された。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/weimal/seekts%20insistance.html
http://ww1.m78.com/topix-2/hapro%20treaty.html
これは メッセージ 36311 (bakajaps さん)への返信です.