bakajapaさん 第17番目の参戦国日本
投稿者: hal_anta_yabani 投稿日時: 2004/05/11 15:49 投稿番号: [36281 / 60270]
>>朝鮮動乱で、国連軍の要請を受け掃海作業のために「日本特別掃海隊」を編成、掃海艇20隻、巡視船4隻、延べ1200名が参加。
>この資料何処で調べたのか、資料元を教えてくれないか。どのような経緯でどのような活動していたのかが知りたくなった。マジで興味が沸いてきたから。
レス付いていたのですね、即答できず失礼いたしました。
幾つかの語彙を入れて検索されますと膨大に資料を閲覧できます。
http://www.soshisha.com/books/0974.htm
「若き将軍の朝鮮戦争 白善菀将軍回顧録」
(草思社)454頁、定価:本体2660円、2000年5月刊 ISBN4−7942-0974-6
〔第17番目の参戦国日本〕
日本が朝鮮戦争に機雷掃海艇を派遣し、1950年10月17日、そのうちの一隻が触雷して瞬時に爆沈、中谷坂太郎氏が死亡、二名が重体、5名が重傷、11名が軽傷を負った事実である。朝鮮戦争当時米海軍の掃海艇は本国に引き揚げており、極東には6隻の掃海艇しか残らなかった。当時日本の掃海技術は世界一であり、戦後も瀬戸内海などに敷設された機雷排除作業を営々と続けていた。掃海艇の数78隻、技量の高い隊員1500名を海上保安庁が擁していたのだ。
米海軍はこれに目をつけ、吉田茂首相に秘密裏に掃海艇派遣を迫った。吉田は拒否すればダレス特使と進めている講話条約締結交渉に悪影響を与えると判断し派遣に応じた。掃海艇は船名、隊番号を消して米第7艦隊旗下に編入された。当時、日本では世間を挙げて戦争を嫌い、戦争をやるからこの敗戦の苦しみにあえいでいるとの風潮に満ちていた。行きたいものなどいなかった上に、行かされた者の身分は運輸省の事務官だった。
目茶目茶な話だが、韓国の港を掃海中に戦死者を出してしまった。掃海はまことに危険な作業なのである。吉田は特別掃海艇参加隊員の労をねぎらうために「諸君の行動は国際社会に参加せんとする日本の行く手に光を与えた」との慰労の辞を海上保安庁長官にわたしたが、4年後の衆議院本会議でこの秘密参戦の事実が取り上げられると、吉田は「掃海艇が沈没したといわれるが、現在その記憶がない」としらばくれた。参加した1200名の隊員も誰一人事実を言わなかった。殉職した中谷が国家に功績を認められ勲8等白色桐葉章を追贈されたのは死後30年を経た1979年のことであった。
わたしはこの話をよく韓国の人達にする。そして、朝鮮戦争には16カ国が国連軍として派遣されたというが、実は17番目の国があった。日本人も韓国のために死んでいるのだよと話すのである。韓国の人達の返事は、「それは知らなかったが、本当にどうもありがとう。それは本当に知らなかった」というものである。掃海艇派遣の話は元防衛大学校教授の平間洋一先生が資料を発掘して英語で論文を書いた。いまは韓国語訳も出ているので、韓国でも知られるようになったが、『朝鮮戦争(上)ソウル奇襲と仁川上陸』の「派遣された特別掃海隊の困難」(174-178頁)にも詳しい記述がある。
機雷掃海(航路啓開)部隊
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-soukai.htm
>この資料何処で調べたのか、資料元を教えてくれないか。どのような経緯でどのような活動していたのかが知りたくなった。マジで興味が沸いてきたから。
レス付いていたのですね、即答できず失礼いたしました。
幾つかの語彙を入れて検索されますと膨大に資料を閲覧できます。
http://www.soshisha.com/books/0974.htm
「若き将軍の朝鮮戦争 白善菀将軍回顧録」
(草思社)454頁、定価:本体2660円、2000年5月刊 ISBN4−7942-0974-6
〔第17番目の参戦国日本〕
日本が朝鮮戦争に機雷掃海艇を派遣し、1950年10月17日、そのうちの一隻が触雷して瞬時に爆沈、中谷坂太郎氏が死亡、二名が重体、5名が重傷、11名が軽傷を負った事実である。朝鮮戦争当時米海軍の掃海艇は本国に引き揚げており、極東には6隻の掃海艇しか残らなかった。当時日本の掃海技術は世界一であり、戦後も瀬戸内海などに敷設された機雷排除作業を営々と続けていた。掃海艇の数78隻、技量の高い隊員1500名を海上保安庁が擁していたのだ。
米海軍はこれに目をつけ、吉田茂首相に秘密裏に掃海艇派遣を迫った。吉田は拒否すればダレス特使と進めている講話条約締結交渉に悪影響を与えると判断し派遣に応じた。掃海艇は船名、隊番号を消して米第7艦隊旗下に編入された。当時、日本では世間を挙げて戦争を嫌い、戦争をやるからこの敗戦の苦しみにあえいでいるとの風潮に満ちていた。行きたいものなどいなかった上に、行かされた者の身分は運輸省の事務官だった。
目茶目茶な話だが、韓国の港を掃海中に戦死者を出してしまった。掃海はまことに危険な作業なのである。吉田は特別掃海艇参加隊員の労をねぎらうために「諸君の行動は国際社会に参加せんとする日本の行く手に光を与えた」との慰労の辞を海上保安庁長官にわたしたが、4年後の衆議院本会議でこの秘密参戦の事実が取り上げられると、吉田は「掃海艇が沈没したといわれるが、現在その記憶がない」としらばくれた。参加した1200名の隊員も誰一人事実を言わなかった。殉職した中谷が国家に功績を認められ勲8等白色桐葉章を追贈されたのは死後30年を経た1979年のことであった。
わたしはこの話をよく韓国の人達にする。そして、朝鮮戦争には16カ国が国連軍として派遣されたというが、実は17番目の国があった。日本人も韓国のために死んでいるのだよと話すのである。韓国の人達の返事は、「それは知らなかったが、本当にどうもありがとう。それは本当に知らなかった」というものである。掃海艇派遣の話は元防衛大学校教授の平間洋一先生が資料を発掘して英語で論文を書いた。いまは韓国語訳も出ているので、韓国でも知られるようになったが、『朝鮮戦争(上)ソウル奇襲と仁川上陸』の「派遣された特別掃海隊の困難」(174-178頁)にも詳しい記述がある。
機雷掃海(航路啓開)部隊
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-soukai.htm
これは メッセージ 36274 (bakajaps さん)への返信です.