ふむ
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/04/20 15:37 投稿番号: [35306 / 60270]
>>併合直前にどれだけ多くの民間の教育施設があったのかを指す。また、全国に数万の教育施設があったことは、日本の影響とは関係ない。
私立学校は1908年現在で、5000あまり。私立学校令が施行された後の1910年の統計では1900校です。
>当時の朝鮮は、中国以上に遅れていた。その国にどうして近代的学校が造れるのか。
話を折るようで恐縮ですが、実際に作れました。一般の庶民階級に教育が開放されたのは甲午改革(1894)からでしょう。言うまでもなく、これは甲申政変の改革方針を受け継いだもの。
「内外の情勢を見るに、富んで強く、独立して維持するあらゆる国は、全ての人民の知識が開明されている。知識の啓蒙は教育の善美となり、教育は実に国家を保全するのに助けになる」
これはこの改革における教育立国の詔勅です。モデルになったのは西欧と日本。この改革以降に徐々に私立学校が出来始めているのですが、その積極的な教育の背景には身分制の解放というのもあるようです。
ちなみに、先にすでに書いたように私はハングル普及が直接的に日本の影響によるものとは思っていません。間接的な影響は考えうるという程度です。それは近代化の影響と言ってもいいかと。
話題にあがった新聞の面でいうと、漢城旬報は漢文でしたが(もとはハングル混用体が予定されていたが、活字の不足と守旧派の反対で挫折)、その後続の漢城周報が混用体を受け継いでおり、純ハングルの「独立新聞」は同じく福沢諭吉の指導を受けた徐載ピルによって創刊されています。
いずれも日本の間接的な影響を考えられるかもしれません。かといって、直接的に大きな影響とするのも難しいところです。
ところで、この独立協会は興味深い。アメリカ・イギリス・日本には友好的であり、専制君主制から立憲君主制を目指していました。しかしやはり守旧派からつぶされましたが。
これは メッセージ 35295 (kohshien21 さん)への返信です.
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