>honkyさんに聞いて。
投稿者: mangetsujou 投稿日時: 2004/04/20 01:04 投稿番号: [35255 / 60270]
横レスです。(別HNで参ります。)
『三国史記』の「百済本紀」と、『日本書紀』を照らし合わせると、百済に漢字が伝わってから、50年乃至、長くとも100年以内で、倭国(のちの日本)に漢字が伝わっています。つまり、百済でも宮廷でやっと漢字表記が定着して、すぐに日本に伝わった計算になります。
『日本書紀』の年代を信じると、とんでもない事になりますから、『書紀』の中に登場する百済王や新羅王子の名で整合すると、上記のようになります。
そして、遣唐使も「わが国は百済から文字を得ました」と言明していますね。(『旧唐書』)
ただ、アヒルさんが仰る「金印」にしろ、卑弥呼にしろ、「奴国王」も卑弥呼も、漢や魏に対して奏上文を送っています。
当然、漢字ですね。
しかし、それは恐らく外国人官僚であり、日本人が習得したのは、やはり応神朝の話なのだと思います。
ちなみに、韓国人の心の支えの一つである「王仁博士」は、日本の史書にしか登場しません。
まあ、(こう書くとまた誤解を招きますが)百済からの文物(『千字文』なり、儒者など)流入は、軍事同盟の対価ですから、バカJの自慢話は、取るに足らないもの。
そして百済側が債務超過になったのは朝鮮の史書でも分かりますが、それはここではトピずれなので、控えます。
それにしても、韓国では自国の一次資料の歪曲解釈が激しく、困ったちゃんです。
そのメンタリティについては、ボシンタンさんがおっしゃっていた、アイルランド人のイギリスに対する「思い」が参照できるかも知れませんね。
これは メッセージ 35253 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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