処女を「天朝」に献上(『高麗史提綱』)
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/03/30 19:29 投稿番号: [34161 / 60270]
元宗十五年三月、元使が高麗を訪れて「南宋襄陽府の軍人が妻を求めているので、夫のない婦女百四十人を献上するように」と命じた。かくして結婚都監が置かれた。督促は秋に至るまで激しく行われた。村里の娘や逆賊の妻、更には尼までも掻き集められた。蛮子(南宋人)には、予定の数より少し多い分配があった(筆者注:原文には「怨咨大興例給一女資粧絹十二匹」とある。化粧代が支給されたのであろうか。高麗の漢文は分かりにくい)。南宋人は婦女を引き連れて北に去っていったのだが、「哭声天ヲ震ワセ、観ル者悽唏セザルハ無シ」という有様であった(以上、『高麗史』)。これより後、高麗に駐在する元の役人もまた良家の婦女を求め、美女を選んで強制的に結婚した。高麗王は、何も言わなかった(『高麗史提綱』)。
忠烈王元年冬(一二七五)十月、処女を元に献上する時期が近づいていたので、国中で結婚が禁止された(『高麗史』)。
忠烈王二年閏三月、元使が高麗に至り、帰附軍のため妻となる女を献上するよう求めた。高麗王は寡婦処女推考別監・金応文ら五人を諸道に派遣した(『高麗史』。『高麗史提綱』では「要求の半分を与えて還らせた」という)。
忠烈王三年二月、国庫が窮迫したため、「功の無い者でも金を納めれば官位を購入出来る」売官を始めた(『高麗史提綱』)。
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これは メッセージ 34159 (saltinium さん)への返信です.
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