やっぱりマジメなバカJ君
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/03/26 19:46 投稿番号: [33949 / 60270]
>石原も第三国人という言葉を使ったのだが。いい表現とは言えませんね。
勘違いしてはいけない。あまりにも短慮が過ぎる。笑わせてはいけない。
この場合の第三国人は、当事者以外という意味。石原が言った「三国人」は、第二次大戦で、戦勝国でも敗戦国でもない国の民という意味。(マッカーサーが言ったやつだね。)
>朝鮮という国が自ら近代化への道を歩めるように、周りの強敵は放っておかなかったのです。これをもって僕は、日本は朝鮮の近代化を妨げたと表現するのです。
甘い! 実に甘い!(苦笑)
マイペースで事を進められるほど、ビジネスも国際政治も甘くは無い。
むしろ、自分が周囲の会社(国ぐに)の動きを見据えつつ行動しなきゃ。
つまりは、他人のせいなんかではない。
世界の動きを読めない、或いは読もうともしなかった頑迷ゆえの失敗です。
>朝鮮は王様の支配じゃなく法律(近代的な意味での法律とはちょっと差があるだろうけど)によって支配されたのです。
専制王朝は、実は国王自体が一つの機関であり、王が有能だろうと無能だろうと機能するという部分はあるが、朝鮮が法治国家であったなら、日本は半万倍(笑)法治主義だったのだ。(詳しくは長くなるから書かない。)
朝鮮王朝は勢道政治などが王の権力を削いでしまったとは言えるのだよ。
>王様自ら朝鮮の法律を違反すると物凄い反発にあったり、更には退位まで強要されたのです。だから、中国の天子と同じくみるのは無理があるし、更に古代の封建制と決め付けるのはどうかなっと思います。
「封建制」という言葉を使ったのは、ワシの完全なポカミスであり、「中央集権」が正しい。「封建」とは、領主に封土を与え、代わりに軍役などの義務を果たさせる事だね。
>まず、任那日本府のことから。日本という国自体が無かった時代に日本府という言葉を使う自体が可笑しいのに、これを主張する主なわけはなんでしょうか。
申し訳ないが、キミは典型的な短慮型です。
日本という国名は、ずっと後の登場だが、要は『日本書紀』の編者が勝手に「ヤマト」という言葉に「日本」という文字を宛てただけだ。(『古事記』では、「ヤマト」は「倭」なのだ。) 倭国がいきなり国名を「日本」に変えた事は、朝鮮の『三国史記』にも書かれている。
なお、「任那」または「加羅」「伽耶」という地域に倭国(のちの日本)が橋頭堡的なものを築いていたのは、中国の資料と日本の資料でも、類推できるのだ。(朝鮮の『三国史記』は、中国や日本に比べ、省略が多い。)
五経博士の段楊爾がなぜ日本に来たか、知っているだろう?
「任那日本府」は、ちなみに「ヤマトノミコトモチが管轄する土地」という言葉に対する当て字であり、その官吏は百済では「倭宰」と書いたらしい。(参照:『宋書倭国伝』『隋書倭国伝』『魏志韓伝』)
>これを主張する主なわけはなんでしょうか。朝鮮侵略の正当性を得るためです。
あの〜、『広開土王碑』の時代に、既に倭国は平壌で高句麗と激闘しているので、20世紀のことを正当化するためのものではありませんゼ。(新羅は都を十日間、倭国に包囲されたと、『三国史記』に書いてある。『広開土王碑』とピタリと一致。『広開土王碑』は朝鮮人が「改竄されているニダ!」と喚いていたが、中国人大学教授王建群氏がキッパリ否定。)
勝手なことを言ってはいけません。
『魏志韓伝』でも、半島南部には、韓人とは別の倭人が住んでいると、書いてありまっせ。
>日本では金玉均の事を高く評価するようですが、何故か判るのかな。それは彼は福沢諭吉と繋がってるからです。また、日本に亡命し、日本で没となったからです。
ブブー!
金は、上海で死んでいます。(笑)
また、誰が助けようと、彼は先駆者である事には違いありません。彼を批判する朝鮮人は、所詮「彼は日本に迎合した」程度の考えしかないのです。利用できるものは日本だろうと何だろうと、何でも利用すればいいのです。それがプラグマティズムでもあるのです。
それに、身分制度がガンジガラメの朝鮮では、彼が両班の良家出身である事も、必然なのです。日本みたいに、郷士や足軽が一藩の権力を握る事は、無理だったのです。
勘違いしてはいけない。あまりにも短慮が過ぎる。笑わせてはいけない。
この場合の第三国人は、当事者以外という意味。石原が言った「三国人」は、第二次大戦で、戦勝国でも敗戦国でもない国の民という意味。(マッカーサーが言ったやつだね。)
>朝鮮という国が自ら近代化への道を歩めるように、周りの強敵は放っておかなかったのです。これをもって僕は、日本は朝鮮の近代化を妨げたと表現するのです。
甘い! 実に甘い!(苦笑)
マイペースで事を進められるほど、ビジネスも国際政治も甘くは無い。
むしろ、自分が周囲の会社(国ぐに)の動きを見据えつつ行動しなきゃ。
つまりは、他人のせいなんかではない。
世界の動きを読めない、或いは読もうともしなかった頑迷ゆえの失敗です。
>朝鮮は王様の支配じゃなく法律(近代的な意味での法律とはちょっと差があるだろうけど)によって支配されたのです。
専制王朝は、実は国王自体が一つの機関であり、王が有能だろうと無能だろうと機能するという部分はあるが、朝鮮が法治国家であったなら、日本は半万倍(笑)法治主義だったのだ。(詳しくは長くなるから書かない。)
朝鮮王朝は勢道政治などが王の権力を削いでしまったとは言えるのだよ。
>王様自ら朝鮮の法律を違反すると物凄い反発にあったり、更には退位まで強要されたのです。だから、中国の天子と同じくみるのは無理があるし、更に古代の封建制と決め付けるのはどうかなっと思います。
「封建制」という言葉を使ったのは、ワシの完全なポカミスであり、「中央集権」が正しい。「封建」とは、領主に封土を与え、代わりに軍役などの義務を果たさせる事だね。
>まず、任那日本府のことから。日本という国自体が無かった時代に日本府という言葉を使う自体が可笑しいのに、これを主張する主なわけはなんでしょうか。
申し訳ないが、キミは典型的な短慮型です。
日本という国名は、ずっと後の登場だが、要は『日本書紀』の編者が勝手に「ヤマト」という言葉に「日本」という文字を宛てただけだ。(『古事記』では、「ヤマト」は「倭」なのだ。) 倭国がいきなり国名を「日本」に変えた事は、朝鮮の『三国史記』にも書かれている。
なお、「任那」または「加羅」「伽耶」という地域に倭国(のちの日本)が橋頭堡的なものを築いていたのは、中国の資料と日本の資料でも、類推できるのだ。(朝鮮の『三国史記』は、中国や日本に比べ、省略が多い。)
五経博士の段楊爾がなぜ日本に来たか、知っているだろう?
「任那日本府」は、ちなみに「ヤマトノミコトモチが管轄する土地」という言葉に対する当て字であり、その官吏は百済では「倭宰」と書いたらしい。(参照:『宋書倭国伝』『隋書倭国伝』『魏志韓伝』)
>これを主張する主なわけはなんでしょうか。朝鮮侵略の正当性を得るためです。
あの〜、『広開土王碑』の時代に、既に倭国は平壌で高句麗と激闘しているので、20世紀のことを正当化するためのものではありませんゼ。(新羅は都を十日間、倭国に包囲されたと、『三国史記』に書いてある。『広開土王碑』とピタリと一致。『広開土王碑』は朝鮮人が「改竄されているニダ!」と喚いていたが、中国人大学教授王建群氏がキッパリ否定。)
勝手なことを言ってはいけません。
『魏志韓伝』でも、半島南部には、韓人とは別の倭人が住んでいると、書いてありまっせ。
>日本では金玉均の事を高く評価するようですが、何故か判るのかな。それは彼は福沢諭吉と繋がってるからです。また、日本に亡命し、日本で没となったからです。
ブブー!
金は、上海で死んでいます。(笑)
また、誰が助けようと、彼は先駆者である事には違いありません。彼を批判する朝鮮人は、所詮「彼は日本に迎合した」程度の考えしかないのです。利用できるものは日本だろうと何だろうと、何でも利用すればいいのです。それがプラグマティズムでもあるのです。
それに、身分制度がガンジガラメの朝鮮では、彼が両班の良家出身である事も、必然なのです。日本みたいに、郷士や足軽が一藩の権力を握る事は、無理だったのです。
これは メッセージ 33925 (bakajaps さん)への返信です.