歴史教育を改めて考えよう(2)
投稿者: kusotaka 投稿日時: 2001/04/30 20:31 投稿番号: [3236 / 60270]
帝国主義時代の栄華を懐しがる日本の保守右翼勢力の国粋主義と、歴史の被害者とし
て民族の主体性を回復しようとする韓国の民族主義は、質的に違うと反発するかもし
れない。しかし「良い」民族主義と「悪い」民族主義が別々にあるわけではない。
その2つの境界はあいまいかつ流動的だ。 むしろ民族主義には、良い機能とその反対
の機能がコインの裏表のように共存しているのだ。うまく使えば有用な道具となる
が、使い間違えると凶器となり得る刃物にたとえられる。
とにかく民族史の研究と教育において、民族意識と民族のアイデンティティを強調す
ることは再考しなければならない。
階級、宗教、性、世代、地域など極めて多様な集団的アイデンティティ要因のうち、
特に民族構成員としてのアイデンティティだけを絶対視する理由はない。
その上、民族としてのアイデンティティを確認し、民族意識を鼓吹する方法は、歴史
以外にもいくらでもある。スポーツの試合、祝日の式典、国土巡礼旅行などは数例
にすぎない。
何より現在の日本こそ、民族の重要性を強調する歴史教育が持つ危険性を、雄弁を通
じて物語っている事例ではないか?
それなら、歴史が担うべき真の役割は何であり、歴史教育が目指すべき望ましい目標
は何か。歴史の役割は、人間の生を構成する多様な領域において、公開的あるいは隠
密に作動しながら個人と集団の生を歪曲・抑圧してきた各様の権力と各種のイデオロ
ギーを、究明して批判することだ。
「啓蒙、批判精神を育てるべき」
歴史教育も同様だ。成長過程にある世代に民族の一員として持つべき民族精神と愛国
心を吹き込むことが、歴史教育の目標だと考えてはならない。望ましい歴史教育の方
向は、むしろ民主主義と社会正義のために、今後、市民社会の一員として備えるべ
き批判精神と参与意識を育てるところにある。
言い換えれば、神話の創造ではなく神話の破壊が、団結と統合ではなく批判と啓もう
が、歴史の研究、教育の目的だということだ。
歴史が重要である理由は、歴史こそが現実を批判的に認識できる見識、引いては代案
的な生の方式を創意的に模索できる意志と能力を育ててくれるからである。
日本の歴史教科書問題を機に国史教育を強化しなければならないという声が出てい
る。正しい主張だ。しかし歴史に対して批判と啓もうの機能を期待するのなら、今
後、強化すべき国史教育の目標と方向についても真剣な検討があるべきだろう。
安秉稷(ソウル大教授、西洋史)
これは メッセージ 3235 (kusotaka さん)への返信です.
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