>どっちにしたって
投稿者: bianchi20022002 投稿日時: 2002/02/11 06:40 投稿番号: [20270 / 60270]
>よっぽど高麗軍が残忍であったことがうかがえますね.
高麗は必死だったんですよ。失敗されるとまたやらされるから。
弘安の役では大将のモンゴル人がやる気全く無し。海にでるのが不安だし、ジンギスカンの頃と違い楽に慣れてしまったため根性なくなってた。高麗の副将が「ここまで来たんだからやっちゃおうぜ!」と言ったのに「ダメ!」の一言で引き上げ。
パ−ト2では東路軍を高麗の将軍がまかされたがいかんせん江南軍が来ない。次第に志気も乱れ船酔いなど病人も出てくる。
で、失敗。
>最強のヘタレだなぁ
とsjc_no_jr1さんはおっしゃいますが、当時高麗は軍事国家で弱くはなかった。王族が弱音をはいてただけで実際政権を握ってた催氏(実際はニンベン無しのサイ)は強かった。ただ、その頃悪魔が乗移ったとしか思えない最強の蒙古軍に30年間大規模な侵入6回、小規模なものは無数、ついに王室は降参。(フビライは半ばあきらめかけてたのでたいそう喜んだそうな)
しかし催氏率いる三別ショウ(テヘンに少)は南の珍島・済州島に移りさらに抵抗。催氏は日本に援軍を頼む「おまえらもやばいぞ!蒙古が来るぞ!助けろ!」とやったが朝廷・幕府は「蒙古?なにそれ?」ってな感じで無視。しかし九州の武士団は駆けつけはしなかったが物質的援助はした。済州島のなんたら博物館にある対蒙古抗戦の絵に見える高麗軍の刀は日本刀である。
元寇は蒙古・高麗軍のオ−ガナイズも悪かったような気もするが日本は神風ではないが何かに守られているような気がする。
日本が地続きだったら蒙古の侵略に耐えられただろうか?
まぁ、ありえない話ですね。
一人で空想にふけってます。
ちなみに半島の催氏・張氏は根っからの武家。高句麗・渤海の流れを引いてます。
も一つちなみにフビライの遺言に「高麗の妃だけは正妻にするな」というのがあったそうです。偶然かフビライの慧眼か、元朝最後の后は高麗人だったそうです。
その逆に蒙古の妃が高麗の后となり旦那の高麗王に「そろそろ元も乱れてきたから逆らって独立しちゃいなさいよ!」と勧めたにもかかわらず高麗王は優柔不断に行動にうつさず、情けない男だったようです。
これは メッセージ 20267 (urinara_irubon さん)への返信です.
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