臣下の礼
投稿者: zauber_berg 投稿日時: 2002/02/08 11:37 投稿番号: [20155 / 60270]
トピズレですいません。
>実際白村江で唐と交えても遣唐使は問題無く受け入れられたし。
白村江の戦いの直後の615年、唐は劉高徳・郭務[りっしんべん+宗]を使者として倭国に派遣、倭国からも第5回遣唐使を派遣してますね。この辺の国際情勢は、けっこう複雑です。
>唐の蕃国が参列した席で新羅が一番上の席に指定され日本は
この話の出典は確か『続日本紀』だったと思うけど、『旧唐書』か『新唐書』にもあるのかな?
エピソードとしては色んな本に紹介されてますね。吉田孝『古代国家の歩み』(「大系日本の歴史」3巻、小学館、1992)とか。
>平安時代の南宋貿易は臣下の礼の形をとってやっていたのかな?
えーと、遣唐使の廃止後は、日本と中国王朝との正式国交は、室町幕府と明との間で結ばれるまでありません。日宋貿易・日元貿易・日清貿易いずれも国家間の正式国交無し行われた私貿易(日本側の主体者が国家権力者であろうとも、中国側から見れば)なので、臣下の礼云々は関係なかったはずです。
江戸幕府などは、朝鮮は国交と貿易を行うある「通信の邦」、清・蘭は貿易のみ行う「通商の邦」と明確に分けて考えていたようですし。
>南宋のように中国全土を支配してない場合原則的には皇帝は存在しないので
これはビアンキさんの勘違いですね。分裂しようとも皇帝はちゃんといましたよ。三国時代しかり、南北朝時代しかりりです。
これは メッセージ 20148 (bianchi20022002 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffckdca4o2bf8na1a2hbfbeja47a4ja4a4a4na4aba1a9_1/20155.html