ポンティアナック
投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/02/05 06:33 投稿番号: [20013 / 60270]
>日本軍は1942年から1945年にかけて、反日的な行動を予防する目的でスルタンから華人に至るまで一網打尽に虐殺した。
まず事実の間違い。
1942年から1945年にかけて、は間違い。
ポンティアナック事件といわれるものは第一次検挙が1943年10月下旬に起きたから1年の差がある。この筆者は本当に事件のこと知っているのかな。インドネシア人(華人)でありながら自国の歴史など何も知らないみたいだね。
ところでポンティアナックはどこにあるのだろうか。ボルネオ(カリマンタン)の西部。日本からの飛行機がジャカルタに行く場合に真上を通る。
この検挙の中心は中国人だよ。マレーの反日ゲリラ掃討と同じだね。華人も現住民には違いないね。
そもそもポンティアナックに日本軍(海軍だけどね)何人くらい駐留していたかしっているの。わずか200人。この指揮官がなんと25歳の中尉。この中尉がポンティアナックの日本軍の最高指揮官なのだよ。現地最高責任者としての意気込み・責任感はあっただろうね。自分の担当地区で反乱事件が起こることなどとんでもない、とは考えていただろうな。
戦後のインドネシアの新聞・Sinar
Harapanによると(この経営者が華人かどうかは興味あるね。華人だよ)殺された者の数が21,000人。わずか200人の部隊に21,000人がおとなしく殺されたのだろうか。負傷者などを入れればもっとだね。
南京事件流のやりかただな。要するにポンティアナック事件は日本軍に対する反乱の計画がありとのうわさを聞いたこの中尉が容疑者を検挙した、というもの。新任中尉の先走り、とはいくつかの本にかいてある。
投稿するのはいいんだけど、少しは調べよう。
ついでにいうと、スマトラ島のブキットティンギという町で、日本軍が洞穴を
掘らせ、秘密を守る為工事に従事した人間3,000人を全員殺したなどという話があったのだけど。有名な「日本の穴」事件。これを現地で見て不審に思った元新聞記者や非左翼の学者が綿密に調べ、現地聞き取り調査や、厚生省の復員軍人名簿からここにいた軍人たちにインタービューして、わかったことは、一人のけが人さえも出なかったということ。これを虐殺と喧伝した慶応馬鹿教授馬鹿女倉沢愛子に公開質問状を出したのだけど、なしのつぶて。左翼なんてこんなもの。
これは メッセージ 20007 (dobumausu さん)への返信です.
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