インドネシアと日本2
投稿者: dobumausu 投稿日時: 2002/02/04 05:17 投稿番号: [19939 / 60270]
「植民地解放」と矛盾する歴史的事実
―西カリマンタンでの日本軍による大量虐殺
日本の政治家の中には「大東亜戦争の目的はアジアを植民地解放することだった」とみなすものがいる。
実際にそう信じて参加した兵士がいることは事実である。
しかし、歴史的事実はそれを否定するものであるということが、インドネシア・カリマンタン(ボルネオ島)のポンティアックでの日本軍の大量虐殺にも現れている。
ポンティアックでは、地元住民による具体的な敵対行為があったわけではないのにもかかわらず、日本軍は1942年から1945年にかけて、反日的な行動を予防する目的でスルタンから華人に至るまで一網打尽に虐殺した。
犠牲者の数は、日本側関係者の推計では1500人前後とされるが西カリマンタン州政府は役2万1000人としている。
このポンティアック事件ではインドネシア独立戦争を戦う事となるオランダと関係が深いスルタン家が犠牲になった事もあり、長い間この事件の犠牲は抗日戦争の犠牲者としてみなされてなかった。
また住民が事件後建立した記念碑の碑文は、70年代に「虐殺の現場」から「大量埋葬の場所」に改められた。
米ニューヨークタイムズが「最大の援助国、日本との関係を重視したインドネシア側の苛立ちにより、日本人の残忍性をあらわす歴史的事実として取り上げられるようになり、週刊誌「GATRA」の1995年7月22日号は本事件を綴りこみページで特集した。
8月8日のジャカルタポスト社説「日本は歴史を免れる事ができるか」で触れている日本軍の大量虐殺は、このポンティアック事件の事を指している。
1977年になって、州政府はようやく犠牲者の遺骨が放置されていたマンドール(ポンティアックの隣町)に慰霊碑を建立した。
95年6月末、日本政府の関係者として戦後初めて渡辺泰造・駐インドネシア大使がマンドールを訪れ慰霊碑に花輪を捧げた。
日本は過去を直視せずに、いつまでもアジア諸国の寛大な「許す心」に甘んじていてよいのであろうか。
これは メッセージ 19938 (dobumausu さん)への返信です.
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