人権と法
投稿者: tenoz 投稿日時: 2001/03/29 00:20 投稿番号: [1868 / 60270]
横レスです
>はじめまして。
両方とも、大切なものでしょう。
でも、人権と法、、二つの価値が衝突するときは、当然、人権じゃないでしょうか。
世の中の法には悪法もあるはず。
人権を守る行動には悪いところはないと思います。
各国の法は今にも続けて改正されてますが、「人権」ということは永遠に守らなきゃならない価値だと。。
このコメントはこれ以前の話しの流れを汲んだ上で、その内容で登場した人権と法という一般的な概念論に沿って述べたものと解釈しました。その立場に則ってレスというか、質問をしてみたいと思います。
「人権と法が衝突する時は、当然人権が優先する」という根拠が「法の中には悪法もある」ということなんですよね。僕がまず疑問に思ったのは「悪法でない場合はどうするのか」と言うことです。と、言うよりその悪法と良法の区別はと言っても良いでしょう。
いや、その前に人権の概念と法の概念から述べるべきでしょうか。どちらも細かく話せば本が一冊書ける内容ですが、大雑把に言うと法とは「公共の福祉」という全体の利益であり、人権とはあらゆる権力から尊重されるべき個人の聖域と言う、有体に言えば個人利益の縄張りということですね。。
さて、法というのはさっきも言ったように全体の利益であり、その全体の利益を行使するのは権力機構ということになります。人権と法がぶつかるというのはつまりこの権力機構が力を執行する時に、個人利益の縄張りに立ち入るということで多くの人は異論がないでしょう。ではこの縄張りに立ち入るというのはどう言うことか。一番分かりやすいのは「逮捕」です。人間として当然の自由が拘束されますからね。しかしだからといって逮捕=悪というひともいないでしょう。逮捕される人は違法行為によって拘束されるのですから、社会全体の利益の為に拘束するのは当然のことです。ここでchavitalさんのコメントと照らしあわせると「法のほうが悪いのかも知れないから、いかなる時も逮捕より自由を優先すべき」となるのか?。恐らくそんな人はいないでしょう。悪法云々という言葉があるように、その逮捕の根拠となる法律が適切かどうかという問題ですよね。或いは司法官憲の権力執行のやり方もあるでしょう。この例に沿ってchavitalさんのコメントの真意を考えると当然そこにあるとは思うのですが、そうなると疑問になるのは「人権を守る行動には悪いところはないと思います。」という下り。本当は言葉足らずな表現にも疑問を呈したいのですが、それはとりあえず置いておいて。それで、これだと人権の濫用も正当化されるのでは?。日本でも最近人権の濫用が問題になっておりますが、アメリカなんかはもっと昔から大変なことになっています。良し悪しの基準は国によっても違うでしょうが、権利の濫用に疑問を向けるということに異論はないと思います。では実例を挙げて話をしてみましょうか。
ロスアンジェルスでこんな事例がありました。銀行強盗が警官隊との激しい銃撃戦の際に撃たれて犯人3人のうち二人は即死、もう一人が重傷を負うということがありました。また警官にも民間人にも負傷者が出ました。当然この人達は救急車で病院へ搬送するのですがこの時にトラブルが。ロスアンジェルス市の規定では事件発生により警察が封鎖している区域へ救急車が入る場合、一台ずつ交代で出入りすることになっています。理由は救急隊の安全を図るためと、銃撃戦に巻き込まれて救急車が一度に何台も行動不能になるのを防ぐためです。よって救急車は一人一人順番待ちになるのですが、この時救急車の誘導をした警官が民間人→警官→犯人の順で搬送をしました。重傷の犯人は搬送の途中で死亡したのですがこの時に犯人の遺族が、「もっと早く搬送されていれば助かったはず」とその誘導を担当した警官を相手に民事訴訟を起こしたのです。この遺族の発想も「人権」に基づくもの。これが為にその警官は莫大な訴訟費用と貴重な時間を浪費する事になります。
さて、これを読んでも「人権を守る行動に悪いところはない」といえるでしょうか。人権は人間一人一人に与えられるべき利益ですが、それは無限に許されるものではありません。なぜなら他人の正当な利益を侵害することもあるからです。
僕は人権も法もどちらも大事であり、双方の関係に固定された優先度はないと考えますが。
>はじめまして。
両方とも、大切なものでしょう。
でも、人権と法、、二つの価値が衝突するときは、当然、人権じゃないでしょうか。
世の中の法には悪法もあるはず。
人権を守る行動には悪いところはないと思います。
各国の法は今にも続けて改正されてますが、「人権」ということは永遠に守らなきゃならない価値だと。。
このコメントはこれ以前の話しの流れを汲んだ上で、その内容で登場した人権と法という一般的な概念論に沿って述べたものと解釈しました。その立場に則ってレスというか、質問をしてみたいと思います。
「人権と法が衝突する時は、当然人権が優先する」という根拠が「法の中には悪法もある」ということなんですよね。僕がまず疑問に思ったのは「悪法でない場合はどうするのか」と言うことです。と、言うよりその悪法と良法の区別はと言っても良いでしょう。
いや、その前に人権の概念と法の概念から述べるべきでしょうか。どちらも細かく話せば本が一冊書ける内容ですが、大雑把に言うと法とは「公共の福祉」という全体の利益であり、人権とはあらゆる権力から尊重されるべき個人の聖域と言う、有体に言えば個人利益の縄張りということですね。。
さて、法というのはさっきも言ったように全体の利益であり、その全体の利益を行使するのは権力機構ということになります。人権と法がぶつかるというのはつまりこの権力機構が力を執行する時に、個人利益の縄張りに立ち入るということで多くの人は異論がないでしょう。ではこの縄張りに立ち入るというのはどう言うことか。一番分かりやすいのは「逮捕」です。人間として当然の自由が拘束されますからね。しかしだからといって逮捕=悪というひともいないでしょう。逮捕される人は違法行為によって拘束されるのですから、社会全体の利益の為に拘束するのは当然のことです。ここでchavitalさんのコメントと照らしあわせると「法のほうが悪いのかも知れないから、いかなる時も逮捕より自由を優先すべき」となるのか?。恐らくそんな人はいないでしょう。悪法云々という言葉があるように、その逮捕の根拠となる法律が適切かどうかという問題ですよね。或いは司法官憲の権力執行のやり方もあるでしょう。この例に沿ってchavitalさんのコメントの真意を考えると当然そこにあるとは思うのですが、そうなると疑問になるのは「人権を守る行動には悪いところはないと思います。」という下り。本当は言葉足らずな表現にも疑問を呈したいのですが、それはとりあえず置いておいて。それで、これだと人権の濫用も正当化されるのでは?。日本でも最近人権の濫用が問題になっておりますが、アメリカなんかはもっと昔から大変なことになっています。良し悪しの基準は国によっても違うでしょうが、権利の濫用に疑問を向けるということに異論はないと思います。では実例を挙げて話をしてみましょうか。
ロスアンジェルスでこんな事例がありました。銀行強盗が警官隊との激しい銃撃戦の際に撃たれて犯人3人のうち二人は即死、もう一人が重傷を負うということがありました。また警官にも民間人にも負傷者が出ました。当然この人達は救急車で病院へ搬送するのですがこの時にトラブルが。ロスアンジェルス市の規定では事件発生により警察が封鎖している区域へ救急車が入る場合、一台ずつ交代で出入りすることになっています。理由は救急隊の安全を図るためと、銃撃戦に巻き込まれて救急車が一度に何台も行動不能になるのを防ぐためです。よって救急車は一人一人順番待ちになるのですが、この時救急車の誘導をした警官が民間人→警官→犯人の順で搬送をしました。重傷の犯人は搬送の途中で死亡したのですがこの時に犯人の遺族が、「もっと早く搬送されていれば助かったはず」とその誘導を担当した警官を相手に民事訴訟を起こしたのです。この遺族の発想も「人権」に基づくもの。これが為にその警官は莫大な訴訟費用と貴重な時間を浪費する事になります。
さて、これを読んでも「人権を守る行動に悪いところはない」といえるでしょうか。人権は人間一人一人に与えられるべき利益ですが、それは無限に許されるものではありません。なぜなら他人の正当な利益を侵害することもあるからです。
僕は人権も法もどちらも大事であり、双方の関係に固定された優先度はないと考えますが。
これは メッセージ 1864 (chavital さん)への返信です.