続き
投稿者: First_Kiss_16_2001 投稿日時: 2002/01/11 15:00 投稿番号: [18160 / 60270]
>島を統一したサル秀吉は今まで韓国に無視されたと思い、恩国を侵略することで
恵みを返すことにした。
これまた妄想だ。日本が欲しかったのは広大な明の領土だ。矮小で不毛な朝鮮半島などは明に対する橋頭堡の役目しかない。
>七年間戦ったが結局、勝てなくて傷ついて逃げていた。
朝鮮半島はもっとボロボロになったな。それに日本が戦った相手は明の援軍だ。
講和したのも明とだ。朝鮮はただ逃げ惑い戦場を提供したに過ぎない。
>面白いのは1592年の侵略の後、1597年の再侵のときの動機は
島にはない陶器がほしかったというのだ。島では偉い人しか使えない陶器は韓国では一般人の家で使ってたのだ。
明の講和の使者が無礼だった為だ。
>そこで劣等感を持った倭賊は陶器と陶器技術者を強制連行して行った。
島の陶器文化はそのときから始まったのだ。
確かに当時、陶器の技術は朝鮮が発達していた。しかし世にも愚かな儒教の教えの為、技術者は蔑まれていた。日本人は朝鮮人の職人を連れて帰り技術者として丁重に扱い身分を保証した。だから陶工は気分よく日本人として技術の発展に努力した。よって現在、世界最高の技術を持つ日本の陶磁器のレベルがある。
>韓国朝廷は恩を侵略で返す未開島ものに呆れて二度と国交を結ぼうとしなかった。が、サル秀吉が死んだ後、政権を取った徳川が国交再開を哀願した。先進国からの承認なしでは政権維持が危なかった徳川にとっては
韓国の承認は何より大切だったのだ。
おいおい当時の先進国は中華だぞ。日本が朝鮮に侵攻することは可能でも、朝鮮が日本に侵攻する事はありえない。
よって貿易の利益を狙った政治的判断だろう。
>島の招待で島に行った韓国の通信士一行の行列は5KMに至った。
島の国民の歓迎ぶりは見事なことだった。たとえ従僕として付いていった子供さえに一画文章を書いてもらいたくて
老人さえ哀願した。
当時は儒教が日本でブームだった。為政者に都合のいいように捻じ曲げた朱子学を推奨していた。
>文化を熱望する一般人にとっては先進国の文物をもらえる絶好のチャンスだったのだ。
だから儒教の経典が欲しかったのだよ。科学的には当時は日本が朝鮮を遥かに凌駕していた。その証拠に当時の日本は世界最大の鉄砲生産国だった。
これは メッセージ 18030 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffckdca4o2bf8na1a2hbfbeja47a4ja4a4a4na4aba1a9_1/18160.html