日本は何故、反省しないのか?

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>>>満州国建国の為に、、、

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/10/07 15:48 投稿番号: [11649 / 60270]
>>「密かに悔しがっている」満州人なんかいるわけはありませんよ。

無数にいる。

>俺も本当は半信半疑。

私は全信無疑。

いかに多くの日本の青年が理想郷満州を建設しようとしてがんばったか。

事実関係を知らない人にはわかりにくいかもしれないけど、ある本からの引用。(要約)

満州事変の後,日本は自治指導員制度をつくり、農村に日本青年を派遣した。

庭川辰雄ら自治指導部に集まった青年は満州に道義国家を建設しようと理想に燃えていた。   満州は日本の延長であってはならなかった。資本家を入れるな。彼らは日本軍がまだやってきていないような奥地にどんどん入っていった。

その中の蛸井元義とその他二人が5.15事件の青年将校の無罪を主張するために上京する。

「ものいわぬ農民」〈岩波新書)で著者がこの青年達のことを書いている。

蛸井がいかに限りない愛情を満州農民に注いでいたかは、その著者・大牟羅良が書いている。

著者が満州滞在時代に蛸井からたびたび聞かされたことを「少しでも正しく、お伝えしたくてこの筆をとったのです・・・」

蛸井の言った農民とは満州農民のことである。それは日本の農民,中でも日本のチベットといわれる岩手県北部のもの言わぬ農民に通じるものであり・・・

この農民への愛情はまた蛸井と後藤四郎中尉(青年将校運動のひとり)をむすびつけた。後藤は反満抗日匪賊討伐の命を受けたとき,討伐は後回しだといって,現地農民の農作業を手伝ったりしていた。

私(著者)が2.26事件に絡み入獄中、家族を励ます手紙を満州から寄せてくれたのがこの蛸井らのなかまであった。

無論、蛸井は満州国の現状が彼らの理想と背反していたことは知っていた。   そうなればこその苦闘であり,その結果病を得たとも言える。

私が病床を見舞ったある日、蛸井はふと満州で任地が変わるごとに、ひとつづつ子供の墓を残してきたともらした。蛸井はきっと愛児同様に満州の土となって彼にとっての道義国家の礎石となりたかったにちがいない。

満州国を日本帝国主義の侵略と定義する世間通用の歴史のほかに,蛸井たちの満州建国史も書かれてよいはずである。

これらの理想国家の建設に燃えた日本青年達はたくさんいた。「大いなるかな満州は」の歌で知られる大同学院の卒業生達も満州各地に散らばっていった。
彼らは満人は昔のままに素朴だといって驚嘆したが,彼らの夢を破ったのは御用商人たちであった・・・

いずれにしても、すべての日本人が満州で善良であったのではなかろうが、これらの青年達の精神を知っていた満人がその子供達に彼らのことを伝えたことは十分に考えられることである。

満州人は中国人ではない。満州は中国ではない。中国が不法占拠しているに過ぎない。文化も伝統も言葉も違う。しかし最近では満州語をしゃべれない満州人が少なくなっているらしい。

これら日本青年は,毛沢東のいんちき共産主義者たちとはまったくことなり、いんちき紅衛兵たちともまったくことなる。人間が違う。もちろん朝鮮ジャコでもない。
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