事典によれば
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/09/20 23:08 投稿番号: [10314 / 60270]
[日本の食用]
トウガラシの日本渡来の時期について,江戸時代には三つの説があった。第1は1542年(天文11)ポルトガル人が伝えたとするもの(佐藤信淵など),第2は1605年(慶長10)とする説(橘南谿(たちばななんけい)など),第3は秀吉の朝鮮出兵,つまり文禄・慶長の役(1592‐98)の際,種子を持ち帰ったとするもの(貝原益軒など)であるが,どうやら第3説が正しいようである。
トウガラシの語が見られるのは《毛吹草》(1638)あたりからであるが,《多聞院日記》文禄2年(1593)2月18日条には,明らかにトウガラシである物がコショウとして記載されている。それは,コショウの種と称する物をもらったというのだが,その種はナスの種のように小さく平らで,赤い袋の中にたくさん入っており,その袋の皮の辛さには肝をつぶしたというのである。また,〈コセウノ味ニテモ無之〉といっており,まさしくトウガラシであるが,まだ和名がなく,コショウの名が借用されている。以上のようなことから,トウガラシは文禄の役当時に朝鮮から招来されたと断定できると思われる。その後,たちまち商品作物化されたようで,前記《毛吹草》にはすでに伏見稲荷付近の特産品とされている。やがて,《大経師昔暦(だいきようじむかしごよみ)》(1715)が〈本妻の悋気(りんき)と饂飩(うどん)に胡椒(こしよう)はお定り〉というように,うどんの薬味はコショウと決まっていたが,トウガラシがとって代わるようにもなった。こうして急速に普及し定着した理由は,しょうゆやみそとの相性がよく,米飯中心の食事体系に適合したためである。なお,長崎ではトウガラシをコショウと呼んだが,これは中国船と交渉の深かった長崎の役人たちが〈唐枯らし〉に通じる音をきらったためだという。(鈴木 晋一、平凡社世界大百科事典)
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