>君が出した資料からなんだけど・
投稿者: japs_kanchigaiyarodomo 投稿日時: 2001/09/20 15:46 投稿番号: [10210 / 60270]
面倒くさいな。
足利義満君が日本王と名乗ったものの中国もそんなアホではない。日本の将軍が実の権力者であっても日本王と公認されることは有り得ない。分かった?
>さて、歴史上、天皇をなくそうとした人が3人いる。自ら国王になろうとした人が2人、天皇制を無くそうとした人が1人である。前者が足利義満と織田信長で、後者が坂本竜馬である。これらの人々は、偶然ではあるが、3人とも暗殺されている。
足利義満は、三代目足利幕府の征夷大将軍を引退してから、すべての官位を朝廷に返上し、自ら中国に使者を送り「日本国王、源義満」の称号を得ている。私達が、彼の所業を歴史の教科書で教わるのは、ここまでである。ところが義満は、自分が国王になるためにありとあらゆる行為をした人である。特に目立つのが、朝廷、特に天皇の身近な女性に手をつけ、当時、朝廷の子は、ほとんど義満の子といわれたほどである。特に、有名なのが「一休和尚」で、彼は後小松天皇とその妃の子となっているが、実際は義満の子であった。だから幼少のときから寺に預けられたのである
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Inoue-sanNihonshi/Vol08.htm>さて、この国書を携えた一行は、いったい日本の誰に持っていったのでしょうか。京都の義満?
いえ、中国の史書では「良懐」とされる人物でした。
良懐…?
日本の史書にはこのような人物はいませんね。しかし、よく似た名前の人物が当時の北九州を支配していました。その人物は南朝方の征西将軍として大宰府にいた後醍醐天皇の皇子・懐良親王です。「良懐」=懐良という解釈は確実とは言い切れないかも知れませんが、おそらく間違いないのではないかと思われます。倭寇の本拠地は対馬・壱岐・松浦地方の「三島(さんとう)」であったと考えるのが当時の常識でした。これらはすべて北九州に位置し、そこを支配する懐良が「倭寇の頭目」であったと見なされた可能性は十分にあります。「倭寇の頭目」に対する書状なら、このような強い調子になるのも頷けます。
さて、この国書を見た懐良はどのような態度を取ったのでしょうか?
http://www02.u-page.so-net.ne.jp/ra2/kawato/muromachi/ryokai.htm#ryokai2
これは メッセージ 10207 (GAMU_uri さん)への返信です.
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