>>>私が思う日韓の歴史
投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/02/14 16:13 投稿番号: [880 / 6952]
>何故日本に韓国の人が働きに来なければいけなかったのか、考えないんですか?
(1920年代日本への渡航理由)
独身者 世帯主
1.労働の為(61.78%) 1.労働の為(61.29%)
2.生活困難により(23.98%) 2.生活困難により(28.93%)
3.苦学の目的(8.4%) 3.金儲けの為(3.41%)
4.金儲けの為(3.13%) 4.商業の為(2.56%)
独身者の97.29%、世帯主の96.24%がこの上位4つの理由。
1930年代以降は
1.農業不振のため(55.7%)
2.生活難の為(17.2%)
3.金儲け(14.7%)
4.求職(2.0%)
で89.6%を占める。
>日本はかんこく併合後、東洋拓殖会社を設けて韓国の農民の土地を取り上げました。
隠田も含め総督府に接収された上地は約12万町歩、また定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明する書類がないために接収された土地は2万7000町歩で、合計14万7000町歩。
1922年(大正11年)の時点で朝鮮における全耕地面債は450万町歩。
土地調査により総督府が接収した土地は全耕地の3%となる。
同年の日本人農業者所有土地面積は17万5000町歩。
東洋拓殖の所有土地面債は8万町歩。
計25万5000町歩。全耕地面積の5.7%。
残りの91.7%は少なくとも朝鮮人農家の耕作地。
>土地を失った農民の多くが日本に出稼ぎに来たといいます。それでも日本に責任はないんですか?
朝鮮における土地事業調査は、1911年〜1918年。
1920年に於ける日本本土の朝鮮人在住数は約3万人程。
1925年に約13万人
急激に増えるのは1929年(世界恐慌)以降。
1930年に約30万人
1935年に約62万5千人
1940年に約119万人
1945年で約236万人
上記「渡航理由」と、「土地調査事業内容」「日本在住数・年度別」から類推される事は。
「朝鮮人は、土地を奪われていない。」
「土地を奪われた農民が出稼ぎに来たのではなく、世界恐慌の余波をたっぷり被った日本・朝鮮半島で、生活できなくなり、日本本土に働き口を求めてやって来た。」
と類推できます。
>第二次大戦中の強制連行で万単位で連れてこられた人たちは何なんですか?
1938年(昭和13年)、国会で国家総動員法(国民徴用令は1939年)が成立。
この法律によって、15歳から45歳までの男子と、16歳から25歳までの女子を、国家は徴用できるようになる。
「徴兵」が兵士になる義務であるように、「徴用」とは、戦時に一定の労働に従事する義務のことです。
但し、台湾では日本本土と同時に徴用令が施行されましたが、朝鮮では施行されていません。
その代わり、日本企業が朝鮮で自由に労働者を「募集」することを許可しました。
それまでは、朝鮮人労働者が大量に本土に流入すると失業者が増加するので、日本政府は朝鮮人労働者の移住を制限していました。
制限を取り払ったので、多くの朝鮮人労働者が日本に渡っています。
1942年には更に人手不足は深刻になります。
朝鮮でも、総督府が自ら乗り出して朝鮮人労働者を集めなければならない状況になります。これを「官斡旋」と言います。
朝鮮にも「徴用」令が施行されたのは、1944年(昭和19年)になってからです。
ですが総督府では、なるべく自由意思で徴用に応じるべしとし、拒否した者への罰則の流用を控えでいます。
この結果目標の達成率は79%に留まっています。
朝鮮人労働者内地導入は3段階、初期は「募集」 ⇒ 中期は「官斡旋」 ⇒ 後期から「徴用」
「強制連行」は戦後も何十年もしてから造られた「造語」です。
(1920年代日本への渡航理由)
独身者 世帯主
1.労働の為(61.78%) 1.労働の為(61.29%)
2.生活困難により(23.98%) 2.生活困難により(28.93%)
3.苦学の目的(8.4%) 3.金儲けの為(3.41%)
4.金儲けの為(3.13%) 4.商業の為(2.56%)
独身者の97.29%、世帯主の96.24%がこの上位4つの理由。
1930年代以降は
1.農業不振のため(55.7%)
2.生活難の為(17.2%)
3.金儲け(14.7%)
4.求職(2.0%)
で89.6%を占める。
>日本はかんこく併合後、東洋拓殖会社を設けて韓国の農民の土地を取り上げました。
隠田も含め総督府に接収された上地は約12万町歩、また定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明する書類がないために接収された土地は2万7000町歩で、合計14万7000町歩。
1922年(大正11年)の時点で朝鮮における全耕地面債は450万町歩。
土地調査により総督府が接収した土地は全耕地の3%となる。
同年の日本人農業者所有土地面積は17万5000町歩。
東洋拓殖の所有土地面債は8万町歩。
計25万5000町歩。全耕地面積の5.7%。
残りの91.7%は少なくとも朝鮮人農家の耕作地。
>土地を失った農民の多くが日本に出稼ぎに来たといいます。それでも日本に責任はないんですか?
朝鮮における土地事業調査は、1911年〜1918年。
1920年に於ける日本本土の朝鮮人在住数は約3万人程。
1925年に約13万人
急激に増えるのは1929年(世界恐慌)以降。
1930年に約30万人
1935年に約62万5千人
1940年に約119万人
1945年で約236万人
上記「渡航理由」と、「土地調査事業内容」「日本在住数・年度別」から類推される事は。
「朝鮮人は、土地を奪われていない。」
「土地を奪われた農民が出稼ぎに来たのではなく、世界恐慌の余波をたっぷり被った日本・朝鮮半島で、生活できなくなり、日本本土に働き口を求めてやって来た。」
と類推できます。
>第二次大戦中の強制連行で万単位で連れてこられた人たちは何なんですか?
1938年(昭和13年)、国会で国家総動員法(国民徴用令は1939年)が成立。
この法律によって、15歳から45歳までの男子と、16歳から25歳までの女子を、国家は徴用できるようになる。
「徴兵」が兵士になる義務であるように、「徴用」とは、戦時に一定の労働に従事する義務のことです。
但し、台湾では日本本土と同時に徴用令が施行されましたが、朝鮮では施行されていません。
その代わり、日本企業が朝鮮で自由に労働者を「募集」することを許可しました。
それまでは、朝鮮人労働者が大量に本土に流入すると失業者が増加するので、日本政府は朝鮮人労働者の移住を制限していました。
制限を取り払ったので、多くの朝鮮人労働者が日本に渡っています。
1942年には更に人手不足は深刻になります。
朝鮮でも、総督府が自ら乗り出して朝鮮人労働者を集めなければならない状況になります。これを「官斡旋」と言います。
朝鮮にも「徴用」令が施行されたのは、1944年(昭和19年)になってからです。
ですが総督府では、なるべく自由意思で徴用に応じるべしとし、拒否した者への罰則の流用を控えでいます。
この結果目標の達成率は79%に留まっています。
朝鮮人労働者内地導入は3段階、初期は「募集」 ⇒ 中期は「官斡旋」 ⇒ 後期から「徴用」
「強制連行」は戦後も何十年もしてから造られた「造語」です。
これは メッセージ 878 (hannkonosyuniku さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/880.html