琉球朝鮮交流史
投稿者: trek011 投稿日時: 2003/09/08 13:51 投稿番号: [719 / 6952]
琉球・朝鮮交流史は一部の専門家を除きほとんど知られていないようなので、ここで簡単に紹介しておきます。
韓国側の資料としては「高麗史」、「朝鮮王朝実録」、「海東諸国紀」などがあり、琉球側にも当時の外交文書を集めた「歴代宝案」が朝鮮国王宛の書簡を保存しています。
琉球王国は中国・明王朝の朝貢国として福建と盛んに通商し、東南アジア諸港にもしばしば使節を送って通商活動を行い、14世紀から16世紀まで琉球史上「大航海時代」とされています。
高麗王朝末期の1389年、琉球中山王の通交使節が始めて高麗を訪れ、その後三山鼎立時代の山北王、山南王も通交使を送っています。1392年に高麗が滅んで朝鮮王朝が興ってからも、琉球使の来航は続き、山北王が朝鮮に亡命する事件さえありました。また朝鮮側も琉球に使者を派遣しています。初期の琉球朝鮮の勾留は琉球が倭寇に捕まった朝鮮被虜人を朝鮮に送還し、朝鮮の物産を受け取っていたもののようです。直接の通交は1423年でいったん終わり、1429年から1468年までは博多商人・道安ら日本人が琉球国王使に任命されて朝鮮に赴いています。倭寇の襲撃を恐れたものでしょう。このころには高麗大蔵経など仏典類を琉球側が求めていました。1470年から94年までは琉球王国とは全く無関係の対馬や博多の人物が琉球国王使と偽称して朝鮮に赴いています。朝鮮側は偽使と感付いてもそれなりの待遇はしたようです。1500年には最後の琉球国王使が朝鮮に渡航しますが、船団乗組員470人のうち琉球人は22人にすぎず、日本人に依存した遣使だったようです。これ以後、琉球の朝鮮貿易は完全に日本人に押さえられ、直接交渉は途絶しますが、朝鮮人が琉球諸島に漂流することが多く、琉球は漂流朝鮮人を福建あるいは対馬経由で送還しており、間接的な交渉は江戸時代まで続いています。
現在沖縄県立博物館には首里城正門前にあったとされる万国津梁鐘が保管されています。この釣鐘は1458年に「高麗」(朝鮮王朝)で製作されたもので、次のような有名な銘文が刻まれています。
>琉球国者南海勝地而鐘三韓秀以大明為輔車以日域為唇歯在此二中湧出蓬莱島也
また金達寿「日本の中の朝鮮」は首里はソウルではないかという説を紹介しています。
沖縄と朝鮮の関係についていえば、沖縄戦で約一万の朝鮮出身者が戦死しています。(沖縄県人12万、他県日本軍人6.5万人戦死)その多くは準軍属の人夫だったようですが、沖縄の南部戦跡には「韓国人戦没者慰霊碑」が各県出身者の慰霊碑とともに建てられています。
韓国側の資料としては「高麗史」、「朝鮮王朝実録」、「海東諸国紀」などがあり、琉球側にも当時の外交文書を集めた「歴代宝案」が朝鮮国王宛の書簡を保存しています。
琉球王国は中国・明王朝の朝貢国として福建と盛んに通商し、東南アジア諸港にもしばしば使節を送って通商活動を行い、14世紀から16世紀まで琉球史上「大航海時代」とされています。
高麗王朝末期の1389年、琉球中山王の通交使節が始めて高麗を訪れ、その後三山鼎立時代の山北王、山南王も通交使を送っています。1392年に高麗が滅んで朝鮮王朝が興ってからも、琉球使の来航は続き、山北王が朝鮮に亡命する事件さえありました。また朝鮮側も琉球に使者を派遣しています。初期の琉球朝鮮の勾留は琉球が倭寇に捕まった朝鮮被虜人を朝鮮に送還し、朝鮮の物産を受け取っていたもののようです。直接の通交は1423年でいったん終わり、1429年から1468年までは博多商人・道安ら日本人が琉球国王使に任命されて朝鮮に赴いています。倭寇の襲撃を恐れたものでしょう。このころには高麗大蔵経など仏典類を琉球側が求めていました。1470年から94年までは琉球王国とは全く無関係の対馬や博多の人物が琉球国王使と偽称して朝鮮に赴いています。朝鮮側は偽使と感付いてもそれなりの待遇はしたようです。1500年には最後の琉球国王使が朝鮮に渡航しますが、船団乗組員470人のうち琉球人は22人にすぎず、日本人に依存した遣使だったようです。これ以後、琉球の朝鮮貿易は完全に日本人に押さえられ、直接交渉は途絶しますが、朝鮮人が琉球諸島に漂流することが多く、琉球は漂流朝鮮人を福建あるいは対馬経由で送還しており、間接的な交渉は江戸時代まで続いています。
現在沖縄県立博物館には首里城正門前にあったとされる万国津梁鐘が保管されています。この釣鐘は1458年に「高麗」(朝鮮王朝)で製作されたもので、次のような有名な銘文が刻まれています。
>琉球国者南海勝地而鐘三韓秀以大明為輔車以日域為唇歯在此二中湧出蓬莱島也
また金達寿「日本の中の朝鮮」は首里はソウルではないかという説を紹介しています。
沖縄と朝鮮の関係についていえば、沖縄戦で約一万の朝鮮出身者が戦死しています。(沖縄県人12万、他県日本軍人6.5万人戦死)その多くは準軍属の人夫だったようですが、沖縄の南部戦跡には「韓国人戦没者慰霊碑」が各県出身者の慰霊碑とともに建てられています。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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