つづき。
投稿者: toseinin_isaq 投稿日時: 2010/08/19 22:30 投稿番号: [6100 / 6952]
たとえば、57年当時の倭奴国が後漢朝の支配下にあって服属していたとすれば、東夷伝序文のいうように「時代を隔てて散発的に貢献した」では済まない。『三国志』韓伝には、衛満に滅ぼされた朝鮮王の話から続く韓の歴史の一文で、「漢代には楽浪郡の支配下に置かれ、季節のサイクルごとに役所に来て朝貢していた」とある。藩内にあって属国関係が存在すれば、このように何らかの朝貢が義務づけられる。それも、倭国のように50年や130年に一度ではなく、季節のサイクルごとにか年季ごとにである。
中国王朝に対して実質的な服属義務や貢献義務が存在したのは、中国自らが制定した九服制度に組み込まれた藩内の諸国である。むろん列島の倭国は「藩甸(はんでん)の外」すなわち藩外にあって、歴代の中国王朝から兵士の拠出や定期的な貢献といった義務を負わされた事実はない。むしろ、歴代の中国王朝が、倭人・倭国の朝貢を化外慕礼に位置づけてきたし、天子体制下にある属国とみなした言動はしていない。
むろん、毎日新聞の「沖縄は14世紀から19世紀まで当時の明、清の臣下、藩属国だった」は、中国王朝の支配に属さない藩外の沖縄が朝貢外交をしたことで「従属した」と拡大誤解している。わが国の古代史研究者も同様で、「倭国は中国に朝献して爵位をもらって冊封体制に組み込まれた」として、中国に臣従してきたという史観を開陳する人が少なくない。徐勇氏らは歴史学者だから、藩外諸国の朝貢外交の本質を分かっているはずなのだが、沖縄が中国と朝貢外交をしたことで「従属した」との新解釈を打ち出したものか、毎日新聞が見せたような日本人の誤解を逆手にとる戦略に出たものか。「沖縄がかつての琉球王国時代に中国との交易で栄え、中国に従属する地位にあった」を根拠にするかっこうである。
漏れ聞くところによると、「隋が琉求国を撃って数千人を捕虜として連れ帰った」という記録を理由に、沖縄の領有権を主張する向きもあるとか。(隋書のいう流求国が台湾か沖縄かは置いて)、占領して郡県下に置いて統治したわけでもないのに、一時的な「侵略と略奪」を理由に領有権を主張するわけだが、似たようなことを論拠に成り立っているのが江上波夫氏の「騎馬民族説」である。氏いわく。
「武が慕韓(馬韓)と秦韓(辰韓)の2カ国名を入れて要求したのは、かつて三韓時代に、その支配権を三韓全体に及ぼしていたという事実、ないしはそのような有力な伝承があって、倭国は南朝鮮のすべてを支配する歴史的根拠、潜在的権利を保有しているとの立場をとっていたのではないか。そのために、馬韓・辰韓の時代まで溯って、当時支配していた辰王家の子孫としてその宗主権を主張して、それを中国に認めるように要求した。そこで中国は、すでに独立を認めていた百済を除いて、三韓時代まで溯って宗主権を認めた」。
………時は、とったりとられたりの武力支配の真っただ中である。そんな時代に、すでに独立しているか第三者の支配下にある国に対して、何百年か昔の一時的な略奪支配を歴史的根拠にむし返し、宗主国としての潜在的権利を主張するほど国際感覚の欠落したトンチンカンはいない。それが通用するならば、かつて侵略した経験のある民族や国はみな、それを理由に領有権を主張することができる。
●古代史関係者は責任ある発言を
倭国は中国と冊封関係を結んで臣従してきた。
朝鮮半島南部の騎馬民族が倭国へやってきた支配した。
夫余族の辰王が任那からやってきて倭国の支配者になった。
半島渡りの渡来人が倭国を征服した。
こういう論をのたまう人こそ、いざ「対馬・壱岐は韓国の領土だ。日本は朝鮮人がつくった国だ」といわれても何もできないはずである。言論の自由とはいえ、自由には責任が伴う。何をいってもいいが、それがどういう結果をもたらすのか、今回の問題は、視界深度の浅い論説・言説を垂れる研究者には非常にいい戒めだろう。
中国や韓国という国は、何をいい出すか分からないものがあります。中国の横車を非難することも必要ですが、おかしな史観ばかりが目立ち・それらをもてはやす日本人もまた、予定調和的・安直史観を見直し、責任のもてる古代史を語らなければなりません。
中国王朝に対して実質的な服属義務や貢献義務が存在したのは、中国自らが制定した九服制度に組み込まれた藩内の諸国である。むろん列島の倭国は「藩甸(はんでん)の外」すなわち藩外にあって、歴代の中国王朝から兵士の拠出や定期的な貢献といった義務を負わされた事実はない。むしろ、歴代の中国王朝が、倭人・倭国の朝貢を化外慕礼に位置づけてきたし、天子体制下にある属国とみなした言動はしていない。
むろん、毎日新聞の「沖縄は14世紀から19世紀まで当時の明、清の臣下、藩属国だった」は、中国王朝の支配に属さない藩外の沖縄が朝貢外交をしたことで「従属した」と拡大誤解している。わが国の古代史研究者も同様で、「倭国は中国に朝献して爵位をもらって冊封体制に組み込まれた」として、中国に臣従してきたという史観を開陳する人が少なくない。徐勇氏らは歴史学者だから、藩外諸国の朝貢外交の本質を分かっているはずなのだが、沖縄が中国と朝貢外交をしたことで「従属した」との新解釈を打ち出したものか、毎日新聞が見せたような日本人の誤解を逆手にとる戦略に出たものか。「沖縄がかつての琉球王国時代に中国との交易で栄え、中国に従属する地位にあった」を根拠にするかっこうである。
漏れ聞くところによると、「隋が琉求国を撃って数千人を捕虜として連れ帰った」という記録を理由に、沖縄の領有権を主張する向きもあるとか。(隋書のいう流求国が台湾か沖縄かは置いて)、占領して郡県下に置いて統治したわけでもないのに、一時的な「侵略と略奪」を理由に領有権を主張するわけだが、似たようなことを論拠に成り立っているのが江上波夫氏の「騎馬民族説」である。氏いわく。
「武が慕韓(馬韓)と秦韓(辰韓)の2カ国名を入れて要求したのは、かつて三韓時代に、その支配権を三韓全体に及ぼしていたという事実、ないしはそのような有力な伝承があって、倭国は南朝鮮のすべてを支配する歴史的根拠、潜在的権利を保有しているとの立場をとっていたのではないか。そのために、馬韓・辰韓の時代まで溯って、当時支配していた辰王家の子孫としてその宗主権を主張して、それを中国に認めるように要求した。そこで中国は、すでに独立を認めていた百済を除いて、三韓時代まで溯って宗主権を認めた」。
………時は、とったりとられたりの武力支配の真っただ中である。そんな時代に、すでに独立しているか第三者の支配下にある国に対して、何百年か昔の一時的な略奪支配を歴史的根拠にむし返し、宗主国としての潜在的権利を主張するほど国際感覚の欠落したトンチンカンはいない。それが通用するならば、かつて侵略した経験のある民族や国はみな、それを理由に領有権を主張することができる。
●古代史関係者は責任ある発言を
倭国は中国と冊封関係を結んで臣従してきた。
朝鮮半島南部の騎馬民族が倭国へやってきた支配した。
夫余族の辰王が任那からやってきて倭国の支配者になった。
半島渡りの渡来人が倭国を征服した。
こういう論をのたまう人こそ、いざ「対馬・壱岐は韓国の領土だ。日本は朝鮮人がつくった国だ」といわれても何もできないはずである。言論の自由とはいえ、自由には責任が伴う。何をいってもいいが、それがどういう結果をもたらすのか、今回の問題は、視界深度の浅い論説・言説を垂れる研究者には非常にいい戒めだろう。
中国や韓国という国は、何をいい出すか分からないものがあります。中国の横車を非難することも必要ですが、おかしな史観ばかりが目立ち・それらをもてはやす日本人もまた、予定調和的・安直史観を見直し、責任のもてる古代史を語らなければなりません。
これは メッセージ 6099 (toseinin_isaq さん)への返信です.
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