↓正解>藤原氏は新羅系, 蘇我氏は百済系
投稿者: kundaikun 投稿日時: 2010/07/20 18:01 投稿番号: [5767 / 6952]
>>藤原鎌足は百済出身で豊璋(百済王子)だが>>???
お前の解説は誤答ですね。
藤原氏は
仏教を取り入れた百済係の子孫ではなく,
日本に 神道を取り入れた新羅(白人伽揶,魏=トルコ)の 物部氏の子孫だ。
日本の新羅係天皇家の 阿知女作法は新羅の慶尚道なまり歌の発音が証拠。
阿知女作法(あちめのわざ、あちめわざ、あちめさほう、あじめのさほう、等々)とは韓国語の慶尚道なまりでおばさんという発音で 藤原氏は慶尚道の新羅人という力強い証拠だ。。くすくす
蘇我氏は
31代 用明天皇の息子だったと記録される 聖徳太子は。。。
百済 枕流王(蘇我倉山田)→日本に 蘇我氏→。。。。→武寧王(和氏)
→聖王 → 威徳王
恵王 → 法王 →武王 →義慈王。
↓★聖徳太子
日本 聖徳太子は百済 聖王の三番目息子だったし,用明天皇(蘇我豊日)は 聖王の弟だった。
すなわち,用明天皇は 父ではなく叔父だった。推古天皇は叔母だった。
参照で 皇極天皇(大伴宝=和氏)は百済 武王の後宮だった。
新羅人だった 中臣氏(藤原氏)は 蘇我氏(百済武寧王の 和氏)だった 皇極天皇を廃位させて
蘇我氏をとり除いて 孝徳天皇(阿倍倉梯=金氏)を即位させたが。
百済が滅ぼすからまた 斉明天皇(皇極天皇=蘇我氏)が 再即位した。。
日本の 蘇我氏は百済 枕流王の子孫だったし,和氏は武寧王の子孫だったですね。
偉い 聖徳太子は 蘇我氏+和氏の百済の韓国子孫だった。
結局, 蘇我氏は百済 枕流王(蘇我倉山田)氏の氏姓だったし,
藤原氏は日本の王族だった百済 蘇我氏に競争したトルコ係の白人新羅人(魏)だった。
藤原氏は日本内の高句麗勢力だった 淵蓋蘇文(泉蓋蘇文)と連合して
百済天皇家(天智天皇=大伴葛城=蘇我氏)を追い出して,天武天皇を即位させて
天皇家の外戚勢力になったことが日本の歴史だ。
百済の 枕流王(蘇我倉山田)氏は 385年頃の人なのに,300年後代の人,豊璋?(藤原鎌足?)に貼り付ける爆笑の歴史はどこで学んだのか?
歴史勉強正しくしなさい。。くすくす
これは メッセージ 5766 (kurogoro1960 さん)への返信です.
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