倭人と稲作
投稿者: higanbana26 投稿日時: 2008/10/03 19:08 投稿番号: [4917 / 6952]
倭人は背が低い人、中央から遠い人、従順な人の意味があるそうです。
「川海経」「漢書」「論衡」によると倭人は長江南部、朝鮮半島南部、九州にも広がっていました。倭人が住んでいた江南の地には、また古くから越人と呼ばれた人達が住んでいました。
「呂氏春秋」「漢書」「顔氏古注」などに『百越』として登場します。於越、区呉、駱越、南揚、目深、夜郎など。
ワン族、プイ族、スイ族、トン族、りー族、タイ族、高山族など少数民族が越人の子孫でした。
この百越は新石器時代晩期頃から海岸沿いに住み着いたと思われます。日本では縄文早期にあたります。
7千年前の桑野遺跡からは長江文明の耳飾りが大量に出土し、お互いの交易を示しています。
長江では水田遺構が発見されますが日本はまだ陸稲焼畑です。
交易があれば当然水田稲作も伝わっていたはずなのに何故か日本では本格的な水田稲作は前2500年くらいからです。
それについて、『日本ではその必要がなかった。食物は充分にあり、余剰が利益や私有財産を産み、それが社会を崩壊する事を知っていたのだろう』とおもしろい文章を書いている人がいました。興味深いです。
貝塚を調べると貝の採集は7,8,9月に限られていて、しかも大きな貝しか採っていなかった。小さなのまで採ると絶滅する事を知っていたのかな。
季節によって食べる物を決めて自然を保護する(自然と共存でしょうね)ことを知っていたようだと。
既に日本人本来の気質がしっかりと形成されている事に驚きを感じます。
これは メッセージ 4916 (hisatukai さん)への返信です.
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