イムジン倭乱がウリナラ分裂の起源ニダ!
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2008/04/11 22:45 投稿番号: [4505 / 6952]
>日本と中国という強大国に挟まれた韓半島の状況は、400余年前も今日も大きく変わらないという意見に、2人は共感した。
そこまで考えられるようになったら進歩だな。
いや、それよりはるか昔から、そういう事はあったがな。
>例えば申叔舟の『海東諸国記』は、今でも日本で‘外国人が書いた歴代最高の人文地理書’という評価を受けている。
それを「歴代最高」と呼ぶほど、日本人はその本を知らないぞ。(笑)
しかし、確かに『海東諸国記』は、素晴らしいとオレも思うぞ。とても朝鮮人が書いたとは思えないほど、緻密で客観的で、なるほど、これならハンドブックにも出来ると思える。
しかも有り難いことに、当時の琉球語まで紹介されている。申叔舟は、単に漢文化に溺れたバカ文人ではなかった、いや、素晴らしいインテリだった。
> 一方、壬辰倭乱当時、日本は世界有数の軍隊を持つ国だった。 新武器の火縄銃の生産量が当時ヨーロッパ全体の生産量とほぼ同じだった。
犬末やエンコリ朝鮮人が必死に否定したりしてたよな、それ。(笑)
>とにかく多くの副作用があったが、明の軍を呼び入れたのは、世宗(セジョン)以降受け継がれてきた朝鮮の外交的力量が決定的な瞬間に成功したという点を傍証している。 中国との外交はそれなりに成功したということだ。
オイオイ…、それは反面、中華王朝にますますアタマが上がらなくなるという、いわば最後の切り札じゃねえか。
それに、宗主国は属国を護る義務があるからな。
>日本に対する文化的な優越意識は抵抗の基盤になり、戦争が終わった後にもずっと維持された。
それはもともと現実と乖離した、いわば阿Q的な脳内勝利に過ぎないじゃないか。(笑)
「倭乱」とか「胡乱」とは呼べても、隋の煬帝や唐の太宗を「○○乱」と呼べないわけだろ? なにしろ中華秩序のナンバー2としては。
>また戦争期間中、義兵がずっと出てきたのは、朝鮮の支配層が地方社会を統制する能力を喪失しなかったという点も表している。 下層民からして民心を完全に失うことはなかったのだ。
バカけえ????
上がダメダメだから、「義兵」が生まれるんじゃないか????
国軍がボロボロなのを義兵の功績で埋めようったって、そりゃ国が実質的に壊滅していた事を認めるって事だぜ。
まあ義兵の働きは讃えてもいいが、逆に義兵の義侠心とやらは、現代人のちょっとした慰めにしかならんぞよ。
>朝鮮分割を阻止した最大の功労者は自彊派のリーダー、柳成龍だった。
「自彊」ったって、結局中華の属国という定義になんら疑問を抱かなかったからには「依明」と大差は無いんだって。
所詮、幕府の下で藩が富国強兵しようとしたのと同じだって。
>李舜臣は東アジア海域の覇権を掌握し、明の安保も守った。
「覇権」って…じゃあ、朝鮮は海洋大国に変身したんだな?????
当時の日本は朝鮮から退却出来れば良かっただけであり(秀吉が死去したから)、ハエのようにうるさく追いすがる李舜臣を、しんがりの島津兵庫頭が返り討ちにしてさっさと引き揚げただけじゃん。
「明の安保」も目新しい事じゃなく、中華と属国との君臣のあるべき姿を再確認しただけだわいな。
>李舜臣と柳成龍が海と陸地で体を張って守った国を、300年後の子孫は一度の戦争もなくそのまま日本に明け渡してしまった。 リーダーシップの重要性を痛感する。
お、実質的な抵抗も無く明け渡した事を認めたのは成長だな。
>明と日本の江華(カンファ)交渉が始まった後、‘朝鮮問題’は明内部の政治問題になる。 朝鮮は徹底的に疎外され、‘中日戦争’に戦争の性格が変わっていくのだ。 朝鮮としては思ってもいないジレンマだ。
つうか、太閤秀吉自体がそう考えていたじゃんか?
支那も日本も、どちらもが朝鮮を藩屏・防波堤と考えていたからには(秀吉の場合はちと妄想が過ぎたが。古代に朝鮮三国を「西蕃」と呼んだ事を引きずりすぎていたきらいがある)、最初からある意味その「中日戦争」なんだよ。
それはアンタらが冒頭で、「中日二大強国にはさまれているのは、当時も今も同じ」と言った事の再確認なんだよ。秀吉が朝鮮に何を要求したかを思い出せばいいだろう。
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98621&servcode=400§code=400
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98622&servcode=400§code=400
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98623&servcode=400§code=400
そこまで考えられるようになったら進歩だな。
いや、それよりはるか昔から、そういう事はあったがな。
>例えば申叔舟の『海東諸国記』は、今でも日本で‘外国人が書いた歴代最高の人文地理書’という評価を受けている。
それを「歴代最高」と呼ぶほど、日本人はその本を知らないぞ。(笑)
しかし、確かに『海東諸国記』は、素晴らしいとオレも思うぞ。とても朝鮮人が書いたとは思えないほど、緻密で客観的で、なるほど、これならハンドブックにも出来ると思える。
しかも有り難いことに、当時の琉球語まで紹介されている。申叔舟は、単に漢文化に溺れたバカ文人ではなかった、いや、素晴らしいインテリだった。
> 一方、壬辰倭乱当時、日本は世界有数の軍隊を持つ国だった。 新武器の火縄銃の生産量が当時ヨーロッパ全体の生産量とほぼ同じだった。
犬末やエンコリ朝鮮人が必死に否定したりしてたよな、それ。(笑)
>とにかく多くの副作用があったが、明の軍を呼び入れたのは、世宗(セジョン)以降受け継がれてきた朝鮮の外交的力量が決定的な瞬間に成功したという点を傍証している。 中国との外交はそれなりに成功したということだ。
オイオイ…、それは反面、中華王朝にますますアタマが上がらなくなるという、いわば最後の切り札じゃねえか。
それに、宗主国は属国を護る義務があるからな。
>日本に対する文化的な優越意識は抵抗の基盤になり、戦争が終わった後にもずっと維持された。
それはもともと現実と乖離した、いわば阿Q的な脳内勝利に過ぎないじゃないか。(笑)
「倭乱」とか「胡乱」とは呼べても、隋の煬帝や唐の太宗を「○○乱」と呼べないわけだろ? なにしろ中華秩序のナンバー2としては。
>また戦争期間中、義兵がずっと出てきたのは、朝鮮の支配層が地方社会を統制する能力を喪失しなかったという点も表している。 下層民からして民心を完全に失うことはなかったのだ。
バカけえ????
上がダメダメだから、「義兵」が生まれるんじゃないか????
国軍がボロボロなのを義兵の功績で埋めようったって、そりゃ国が実質的に壊滅していた事を認めるって事だぜ。
まあ義兵の働きは讃えてもいいが、逆に義兵の義侠心とやらは、現代人のちょっとした慰めにしかならんぞよ。
>朝鮮分割を阻止した最大の功労者は自彊派のリーダー、柳成龍だった。
「自彊」ったって、結局中華の属国という定義になんら疑問を抱かなかったからには「依明」と大差は無いんだって。
所詮、幕府の下で藩が富国強兵しようとしたのと同じだって。
>李舜臣は東アジア海域の覇権を掌握し、明の安保も守った。
「覇権」って…じゃあ、朝鮮は海洋大国に変身したんだな?????
当時の日本は朝鮮から退却出来れば良かっただけであり(秀吉が死去したから)、ハエのようにうるさく追いすがる李舜臣を、しんがりの島津兵庫頭が返り討ちにしてさっさと引き揚げただけじゃん。
「明の安保」も目新しい事じゃなく、中華と属国との君臣のあるべき姿を再確認しただけだわいな。
>李舜臣と柳成龍が海と陸地で体を張って守った国を、300年後の子孫は一度の戦争もなくそのまま日本に明け渡してしまった。 リーダーシップの重要性を痛感する。
お、実質的な抵抗も無く明け渡した事を認めたのは成長だな。
>明と日本の江華(カンファ)交渉が始まった後、‘朝鮮問題’は明内部の政治問題になる。 朝鮮は徹底的に疎外され、‘中日戦争’に戦争の性格が変わっていくのだ。 朝鮮としては思ってもいないジレンマだ。
つうか、太閤秀吉自体がそう考えていたじゃんか?
支那も日本も、どちらもが朝鮮を藩屏・防波堤と考えていたからには(秀吉の場合はちと妄想が過ぎたが。古代に朝鮮三国を「西蕃」と呼んだ事を引きずりすぎていたきらいがある)、最初からある意味その「中日戦争」なんだよ。
それはアンタらが冒頭で、「中日二大強国にはさまれているのは、当時も今も同じ」と言った事の再確認なんだよ。秀吉が朝鮮に何を要求したかを思い出せばいいだろう。
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98621&servcode=400§code=400
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98622&servcode=400§code=400
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98623&servcode=400§code=400
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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