日韓歴史論争

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>足利義満

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/02/15 21:47 投稿番号: [32 / 6952]
然り、ですね。

足利義満は、非常に巧妙な事をする人物だったですね。
「国王」として冊封を受けても、「なあに、『王』なら『皇』の臣下という意味だし、構わんワイ。まあ、公卿あたりがイチャモンつけてきても、なにせワシは実質的ナ最高権力者だからナ。公卿連中もワシが生かしてやっておるようなものヨ」という彼なりの理屈で朝貢しましたし。そしてお説の通り、朝貢すれば、「臣下」の方が儲けが多い。いいビジネスです。(実際、中国は時折、「朝貢は程々にして欲しい」と、各国に要求した事もあるほど、「宗主国」中国には負担が大きいものだった。)
そして、「日本国准三后臣源道義」(道義は義満の法名)と称して朝貢。

江戸時代には、李氏朝鮮に対しては、「さて、どう名乗るべきかな。日本の最高権力者とはいっても、国王ではないし、かと言って、『将軍』では単なる軍司令官という意味だしのう。『大君』(たいくん)では朝鮮では単に王族の称号の一つだそうな」という事で、例えば苦し紛れに「日本国関白源吉宗」と名乗ったり、苦慮しています。
対馬藩主の宗氏が、将軍から朝鮮への書状に無理矢理「王」という文字を加えたとか加えなかったとかいうエピソードもあります。

そこへ、新井白石が、足利義満よろしく「なあに、『王』で宜しいではござらぬか。『王』なら主上(天皇)の臣下という意味になる。構いませぬ」という理屈で、以後徳川将軍は朝鮮への書状で、「日本国王源」と名乗り、朝鮮国王は「朝鮮国王李」と称し、対等の交流をします。

明治維新後、新政府から朝鮮への国書で「奉勅」とか「皇」という文字があり、朝鮮では「笑止千万!」と拒絶したのは有名な話。
日本では「天朝」とは天皇の政府であり(将軍の政府である幕府は「大公儀」と称し、文面では「天朝」の下に書かなくてはならなかった)、天皇の使者が「勅使」であっても、朝鮮では「天朝」とは北京のアイシンギョロ氏の政府であり、「勅使」とは北京からの使者でしたしね。
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