日韓歴史論争

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東夷の諸相

投稿者: yanggetsujoh 投稿日時: 2006/07/12 00:05 投稿番号: [3088 / 6952]
   羊月城です。
中国大陸における諸民族の興亡については、こちらの会議室だけでなく、古来多くの学者が討論してきた問題でありまして非常に興味深いものです。

   中国最初の王朝を建てたとされる「夏」についてはよくわかりませんが、『夏訓』という書物によれば、「有窮の君ゲイ(羽の下に廾)は、ソ(金へんに且、河南省)より晋の夏都に近い窮石に遷り、夏に代わって人民を支配した」とあるため、ゲイと夏は対立するものであったことがわかります(注1)。ゲイは、十個の太陽が一度に出現して旱害がおこったとき、九個の太陽を射落とし民を救ったといいますので、これは弓を得意とした東夷であるとみていいでしょう。

   その夏を駆逐して王朝をたてた殷は本来商といいますが、東夷と同族であるため、のちの周によって「夷」に通じる「殷」とよばれるようになりました。遊牧民族的な特徴と農耕民族的な特徴を合わせ持ちつつ製鉄技術にも通じた殷は、東アジア世界に多大な影響をもたらしたことが知られています。さらに、騎馬戦だけでなく車戦にも通じており、その始祖に卵生説話を持つことから、同じく卵生説話を持つ高句麗の東明王朱蒙との関連性が明白です。つまり殷と高句麗は同祖であるとみていいでしょう。
   女真は、パミール高原にいた原始朝鮮民族の分かれたものであり、『大朝鮮帝国史』のいうように遊牧民族化したウリミンジョクの一派であると考えるべきでしょう。

   殷(商)を討って中国の覇者となった周も、やはり朝鮮民族の流れを汲むものでした。
   「周」とはまわりをめぐらす意味ですが、網羅するという意味の、新羅の「羅」と通じています。周の衰退後に、東夷や殷のように、東方の理想郷を求めて朝鮮半島に行き着いた周の王族が、新しい周という意味で「新羅」として国家を建てたことは明白です。

   一方、倍達国や大朝鮮帝国の末裔は匈奴や鮮卑、フンなどとよばれ、ユーラシア大陸を駆け巡る遊牧民族となりました。その一派ははるか西欧にまで行きましたし、インドにも入植しました。元の東アジアに留まった一派は東漢・西漢を脅かしましたが、やがて和睦し、匈奴単于の王子である金日テイ(石へんに單)のように劉氏の漢王朝に入朝することで一体化し、その多くは皇帝の氏姓である「劉」を授けられました。それらの子孫は、東漢末期の動乱時に朝鮮半島に入植し百済をたてます。
   百済の「済」は、水流が透き通っている様子をあらわし、彼らが授けられた「劉」姓と同音でもある「シ劉」と同意であり、首都のそばに流れる錦江をあらわしているのです。

   このように、朝鮮半島の三国時代は、中国大陸で繰り広げられた興亡劇を、時空を越えて凝縮したものであったのです。

(注1)『左氏春秋』襄公四年


(羊月城通信)http://www.yang.orz/toa/fake-moon/
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