日韓歴史論争

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Re: 歴史について

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/07/02 01:58 投稿番号: [3037 / 6952]
>現在の歴史は国の誇りと栄光を語る場となっている。
>世界がグロ−バル化へ進み国家が相対的に低くなりつつあるとき
>過去の国家の正当性を主張し逆に国が強調されるのが原因である。

たまにはいいこと言うジャン。

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日韓歴史共同研究委員会
4世紀の日韓関係   濱田耕策九州大学大学院人文科学研究院教授
http://www.jkcf.or.jp/history/1/1-01-hamada_j.pdf

1945年以降、皇国史観の縛りが解かれるや、日本古代の国家の形成とその展開を世界史の中で考察する視覚から、故江上波夫の「騎馬民族征服王朝論」に代表されるように、日本古代史を北・東アジア諸民族の歴史と関連づけて考察する広い視覚が支持されてきた。この視野の拡大とともに1940年代に「京城帝国大学」で日本人歴史学者のもとで朝鮮史研究を始めた朴時亨、金錫亨のふたりが1960年代にこれまで自ら秘かに懐いていたであろう古代の日韓関係史論が公表された。それは「皇国史観」の古代日韓関係像を逆転する歴史像である。それは「広開土王による倭国への侵攻」と「三韓三国による日本列島内への分国の設置」の論であった。

この歴史論はまず日本の古代史学界に、後に韓国の学界で『日本書紀』に向けられた文献批判を呼び、さらには日韓の考古学的成果に基づく古代の朝鮮半島各地域の国家形成の理解を踏まえた日韓関係史の再構築の研究を呼ぶことになった。この新傾向は今日にも鋭意続けられている。

ところで、韓国の学界では、『日本書紀』に読まれる百済が倭国に送ったとされる王仁や『論語』、『千文字』を代表事例として、百済は倭国より進んだ文化先進国とする文化優越論が根強い。王仁の「千文字」将来説には「千文字」は王仁より後世の作であることや『日本書紀』の歴史構成を批判的に検討する文献的な批判がある。百済からの知識人や教典の倭国への伝来を百済と倭国との2国間の関係のみに限定してしまい、この背後にある中国王朝との相互の関係に目を向けることの弱さから生まれた「文化優越論」である。百済と倭国との文化交流を説く視覚には、いわば朝鮮王朝以来の朝鮮が「倭」に向けた「小中華」の意識が潜んでいるように思われる。
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高麗大学教授   金鉉球
鄭大均   「日本のイメージ」より抜粋

わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)

ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのではありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。

そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。

「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。

しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを助長する結果をもたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
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