1996年の行路死亡者 約100万人
投稿者: u26699 投稿日時: 2003/03/22 23:50 投稿番号: [275 / 6952]
(“ 『現代コリア』1996”)
ま、それはさておき、、、、、
確かに20世紀初頭にかけて、朝鮮半島を含む、日本全体で農村の荒廃や困窮が激しかったことは事実でしょう。その原因は、ひとえに日本・朝鮮での人口の増加にあります。
日本では、1900年から1950年の50年間に、4300万人から8200万人にほぼ倍増しました。一方、朝鮮でも、同じ間に約1000万人から2000万人に倍増したと記憶しております。
結局、朝鮮半島が日本であった時代には、日本の人口は5300万人から1億200万人へと約5000万人増加したことになります。云うまでもなく、この人口の増加は、日本本土・朝鮮半島において、医療制度が飛躍的に完備し、それ以前の時代と比べて、乳幼児の死亡率が激減したことが原因であります。
さて、死亡率が低減して、人口が増加すれば、食料が不足するのは自明の理で、冒頭に述べたように、この時代は特に東北地方を中心に、朝鮮半島も含めて、飢饉や困窮が度々起こりました。
このような状況でありますから、勿論、政府は食料確保の為の、増産政策を行う必要に迫られます。その舞台は、新しく日本の国土となった、北海道と朝鮮半島が中心でした。
ご指摘の件は、朝鮮で生産された米穀が、日本本土に流通したことを指しておられるのだと思いますが、上記のようないきさつから、もともと朝鮮での米の大増産計画は、日本全体の食料確保の為の政策ですから、朝鮮で生産された米が、内地に流通するのはあたり前のことなのです。
そもそも、食料である米は、国内流通経済の原則に従って、生産地である地方から消費地である中央へ、運ばれてゆきます。これは、朝鮮だけでなく、東北でも、九州でも、四国でも、北陸でも同様であります。
只、当時から寒冷地に適した稲の品種改良は行われていたとは云え、地図でみると朝鮮地方は、東北地方とほぼ同緯度にあたる為、凶作の被害は、日本の地域の中でも最も厳しい、東北地方と同程度になったものと考えられます。
これは メッセージ 270 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
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