独り言デツ
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/04/28 21:49 投稿番号: [2072 / 6952]
『三国史記』(1145年)の編集者金富軾は
国内及び中国の中国の歴史書を多く参考にして『三国史記』を作ったが
その際、故意に朝鮮の古代王朝成立の時期を遡らせる工作をしたことは
歴史学者の間では常識となっている。簡単に説明すると
韓国最古の歴史書『三国史記』「百済本紀」に天文観測の記述が有って
それを良く良く調べると中国の「晋書天文志」の内容を
王朝名と年号だけ変えてパクってんの・・・これ以外も多数。しかも その元ネタ
自体が間違ってたらしく せっかく作った唯一の正史書『三国史記』が偽書扱い・・・
↓昔からやってる事が変わらんネ
【百済の建国
(三国史記より)】
高句麗の始祖である朱蒙(しゅもう)には3人の子があり、
長男の類利(るいり)が高句麗を継いだ。後継者争いで身の危険を感じた
弟の温祚(おんそ)は、高句麗から逃げ出し、自分の国を建てるために
南方へ向かった。10人の臣下と大勢の百姓がこれに伴った。
10人の臣下にちなんで、当初は国の名を「十済」とした。しかし、
百姓たちが自分にしたがったことを喜び、百姓たちにちなんで国号を「百済」に改めた。
【呉の建国
(史記より)】
『史記』によると、呉を建国した太伯(たいはく)は、周の古公亶父(たんぽ)の長男であったが、
後継者問題で身の危険を感じ、南方の江南の地にのがれて文身(いれずみ)・断髪し、
後継者となる意志のないことを表明して句呉と称したという。こうした事情を知って
この地の人々、千余家が彼にしたがった。太伯は彼らを臣民として呉を建国した。
12世紀に成立した三国史記の『百済建国神話』が、史記のパクリであることは間違いない。
これは メッセージ 2071 (licky_eto さん)への返信です.
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