Re: ☆倭の始まりは半島(ソース)
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/04/23 22:26 投稿番号: [1809 / 6952]
ねぇねぇ、在日厨房君。
君が「江上説」とるならさぁ、以下の質問に答えられるんだよね?
1.江上説では、3世紀末に扶余系騎馬遊牧系民族が朝鮮半島に南下。
(その際、百済も建国された、とあるが、まぁ置いといて)
その後、任那から北九州へ進出し、王朝を開く、とあるね。
じゃ、これに対してさ。
Q1.騎馬遊牧系民族は、B.C.3世紀の匈奴帝国の頃から、A.D.1世紀の東胡(鮮卑、烏丸)、A.D.2世紀の壇石槐の樹立した「鮮卑帝国」、後に高句麗、百済もそうだが。
政治体制として「左・中・右賢王」を頂点に、縦割りで十進法に基づく軍事・行政組織を維持していたんだが(「史記」にもあるよ)
「中」が「帝王」で、「左」が「王太子」、「右」が「実力No.2」
これは、後の「モンゴル・ウルス」に至るまで続く、騎馬遊牧系民族の伝統的体制なんだが。
江上説通りだと、北九州に進出した「扶余系騎馬遊牧系民族」も、その体制を固持するものと考えるんだが?
なにせ、後の13世紀の「モンゴル・ウルス」の時代まで、連綿と続いているんだし。
だけど、実際の北九州での2〜3世紀の統治機構は、「巫女」たる女性の「神権」を中心とした、大中小緒豪族勢力の「連合体」だよねぇ・・・
一応「王」が居た様だけど、「左・中・右」の3権(中・右・左、の権力順)にはなっていない。
江上説だと、「任那」は「騎馬遊牧系民族」だし、故地から南下して1世紀経つか経たないかだし。
当然、統治体系は故地由来を維持していると思うんだが?
なぜ「綺麗さっぱり、忘れちゃった」の?
これは メッセージ 1771 (bulgom2006 さん)への返信です.
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