araaraoyamaaさん
投稿者: sadamraden 投稿日時: 2003/02/22 18:38 投稿番号: [158 / 6952]
確かに.
私もズバリ言い切るのが好きな性質なので、森先生の話の件は日本人から見れば、ちょっと確証が足りない話だったかも知れない.
個人的に森先生の著書はいくつか読んだし、彼の学問に対する姿勢は高く評価しているので、私は日本人学者の中では信用している方なので.
貴方が言っている事はよくわかる.
日本語や日本人の起源、などなど、本当に様々な説が入り乱れているのを私は韓国、日本両国で実際確認した.
そして、その流れは大きく二つに分けられる.
1韓国よりの主張
2それに反対する主張
日本学界や社会の一般的な風潮はできるだけ韓国との関連を少なくしていこうと言うものである.当たり前な現象だと思う.私が日本人なら私もそうであったと思う. 自然に、定説、多数派は2にならざるを得ない.
しかし、それでいいのか?
それを黙っていないのが日本人の本当に偉いところである.韓国人だったら殆ど日本人が喜ぶ内容の研究はしないし、発表したりしないだろう.
われわれが知っているアジアの歴史なんてほんの一握りに等しい.
特に、韓国の歴史はその多くの資料が焼失されたり、滅失された.そして、韓国人の活動舞台だった北朝鮮と満州、中国大陸はいまだ、ちゃんとした研究がなされていないのが現状である.
私が主張しているのは韓国での多数派の意見である.見る観点を変えると話も違ってくる.学会の主流が全てではない.
問題は的を得ているかどうかである.
日本は孤立した島国である.全ての国々から.
たった一つの国、韓国を除いて...
いまでも天皇家では新嘗祭で韓国の神を呼び出し奉っている..その果てしなく永い歳月の中で、守りきるしかない血縁の重みと言うものは簡単に取り除けるものではない.
日本と韓国を多く往来してみないと目に見えない何かがある.ここに来ている皆は感じ取れないであろう.韓国に殆ど行った事がないのであるから...
言葉の問題にしてもそうだ.両方の言葉を完全にマスタ−した人なら、その類似性に自然にきづくものである.
食べましたか?
もごっすむにか?
食べました.
もごっすむにだ.
疑問型と肯定型の終わり方が同じである.偶然にそうなるか?
食べましたよ.
もごっそよ.
やはり同じ終わりかたをしている.
またも、偶然か?
一例に過ぎないが...
韓国に古い資料が残ってないのが本当に悔やまれる.古代韓国に資料が無かったわけではない.大変な数の資料があった.消えただけなのである.その資料たちがあったり、新たに見つかれば日本の歴史はなぞの霧から旭日の如く輝きながら鮮明な姿を現すであろう.
最近、日本の王室図書館で勤務していたある韓国人がひそかに写し書いて死ぬ前に伝えた"花朗世記”が真本だと解明され古代新羅の研究に一石を投じた.
このように、日本にはまだ沢山の韓国古代文献が眠っている.
日本人との歴史論争...
正直、韓国人としてはもどかしいばかりだ.当たり前な事を言っているにも関わらず、確証を示すことができなかったりする.数少ない資料、それも日本側の資料に頼って話を進める...
ま、いずれ、大きな転機がやってくるとは思う.
私もズバリ言い切るのが好きな性質なので、森先生の話の件は日本人から見れば、ちょっと確証が足りない話だったかも知れない.
個人的に森先生の著書はいくつか読んだし、彼の学問に対する姿勢は高く評価しているので、私は日本人学者の中では信用している方なので.
貴方が言っている事はよくわかる.
日本語や日本人の起源、などなど、本当に様々な説が入り乱れているのを私は韓国、日本両国で実際確認した.
そして、その流れは大きく二つに分けられる.
1韓国よりの主張
2それに反対する主張
日本学界や社会の一般的な風潮はできるだけ韓国との関連を少なくしていこうと言うものである.当たり前な現象だと思う.私が日本人なら私もそうであったと思う. 自然に、定説、多数派は2にならざるを得ない.
しかし、それでいいのか?
それを黙っていないのが日本人の本当に偉いところである.韓国人だったら殆ど日本人が喜ぶ内容の研究はしないし、発表したりしないだろう.
われわれが知っているアジアの歴史なんてほんの一握りに等しい.
特に、韓国の歴史はその多くの資料が焼失されたり、滅失された.そして、韓国人の活動舞台だった北朝鮮と満州、中国大陸はいまだ、ちゃんとした研究がなされていないのが現状である.
私が主張しているのは韓国での多数派の意見である.見る観点を変えると話も違ってくる.学会の主流が全てではない.
問題は的を得ているかどうかである.
日本は孤立した島国である.全ての国々から.
たった一つの国、韓国を除いて...
いまでも天皇家では新嘗祭で韓国の神を呼び出し奉っている..その果てしなく永い歳月の中で、守りきるしかない血縁の重みと言うものは簡単に取り除けるものではない.
日本と韓国を多く往来してみないと目に見えない何かがある.ここに来ている皆は感じ取れないであろう.韓国に殆ど行った事がないのであるから...
言葉の問題にしてもそうだ.両方の言葉を完全にマスタ−した人なら、その類似性に自然にきづくものである.
食べましたか?
もごっすむにか?
食べました.
もごっすむにだ.
疑問型と肯定型の終わり方が同じである.偶然にそうなるか?
食べましたよ.
もごっそよ.
やはり同じ終わりかたをしている.
またも、偶然か?
一例に過ぎないが...
韓国に古い資料が残ってないのが本当に悔やまれる.古代韓国に資料が無かったわけではない.大変な数の資料があった.消えただけなのである.その資料たちがあったり、新たに見つかれば日本の歴史はなぞの霧から旭日の如く輝きながら鮮明な姿を現すであろう.
最近、日本の王室図書館で勤務していたある韓国人がひそかに写し書いて死ぬ前に伝えた"花朗世記”が真本だと解明され古代新羅の研究に一石を投じた.
このように、日本にはまだ沢山の韓国古代文献が眠っている.
日本人との歴史論争...
正直、韓国人としてはもどかしいばかりだ.当たり前な事を言っているにも関わらず、確証を示すことができなかったりする.数少ない資料、それも日本側の資料に頼って話を進める...
ま、いずれ、大きな転機がやってくるとは思う.
これは メッセージ 156 (araaraoyamaa さん)への返信です.
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