la onniさんへ(2)
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/04/14 18:07 投稿番号: [472 / 9237]
日露戦争までは日本のことを家庭教師(アメリカ)の生徒と思っていた日本が先生に追いつき始めたら家庭教師としては不安と嫉妬が生じたみたいですね。カリフォルニアでも日本移民排斥が激しくなったのもこのころですね。陰謀史観(オレンジ計画肯定説)には必ずしも与しませんが。
あなたが上げた>日本が行った悪い事にはどれひとつとして私は納得しません。総て反論可能です。戦争すれば人が死ぬのは当たり前。
日露戦争の開戦の時もそうだったのですが、国家の指導者として国が滅亡するかも知れない強国との戦争に喜んで賛成する人はだれもいなかったのじゃないかな。東条英機またしかりです。開戦前の企画院のシミュレーションで、戦争が数年続けば日本が焼け野原になるという結果を聞いて、東条は、うーん、やはり負けか、しかしやってみなければわからんこともあるだろう、といったと云われています。
海軍の永野修身軍令部長(海軍の作戦の親玉)も、「戦わざれば亡国(石油が枯渇してもうアメリカのいうなりにならざるをえない)、戦うも亡国。前者は魂まで失った真の亡国だが、戦って負けたなら児孫は再起するだろう」といいました。私はこれを支持する。
インドネシアについては別のエピソードを紹介します。(これはもう2度ほど書きましたが)
終戦後1945年8月17にインドネシアが独立を宣言したすぐあとに、そこを再び植民地にしようとしてオランダ軍がイギリス軍の援助でやってきました。もはや独立宣言をしたインドネシア人たちは抵抗を始めました。日本軍の武器を使ったり、竹槍を使ったりして。
これに手をやいたイギリス軍がまだ組織の残っている日本軍に命じて抵抗インドネシア人の排除を命じました。(バンドン事件)。これに激高したインドネシア人が各地で民間日本人狩りを始めました。
中部ジャワのスラマンのブル刑務所にはこうして百数十人の日本人が収容された。(こういう事件は各地で起こった)。
やがてインドネシア人達は収容日本人(民間人)の虐殺を始めた。ある部屋では36人が殺された。のちに救出のために駆けつけた日本軍部隊はその部屋の壁に血で書かれた文字を発見した。
それにはこう書いてあった。
「我ら日本人36人、インドネシア独立のため喜んで死ぬ。インドネシア独立万歳」
これを書いたのは森永乳業の現地社員、阿部領二氏(鶴岡市出身)。36名の名も血で書かれていた。ここでは結局約150人の民間の日本人が殺された。
ある人はこのことをこう書いている。
「インドネシア人に銃で撃たれ、死に瀕しながら、なおも愛するインドネシアの独立を願う、この日本人の無償の心情がわからないのでは、それは貧しい独立というべきであろう」(ムルデカに喝采を、菊池秀広)。
私は断言してもいい。一般の民間人でこのような行動をとれる民族は日本人だけだと。
従って、インドネシア独立に参加した元日本兵は帰れなくなったからしかたなく参加したのではないですね。このような貧しい考え方をするのは日本では左翼がおおいですね。(左翼の根本は人間不信です)
私が戦争に関する本をよんでよかったとあもうことは、いまの日本人ならできそうもないことを行った日本人(民間軍人双方)のことを知ったことです。日本人に対する誇りを持てたことです。
多くの日本人が先の戦争を侵略戦争と思いたくないのは、もし侵略戦争だとすると戦死した多くの兵士達は侵略の先棒を担いだことになるのか、いやそうじゃない、と思いたい元兵士や戦死した兵士の遺族の心のひだと侵略性の回路が結びつかないからという考えを私はしない(これに関して、近時のbosintang兄の投稿を参照しました)。
子供のころから中国大陸で戦った人や南方にいていた人たちの経験談を色々聞きました。私の知り合いのアメリカ人の女性の父親はベトナム戦争に大尉のころ参加したそうですが、家では戦争の事は一言も語らなかったとのことでした。
あなたが上げた>日本が行った悪い事にはどれひとつとして私は納得しません。総て反論可能です。戦争すれば人が死ぬのは当たり前。
日露戦争の開戦の時もそうだったのですが、国家の指導者として国が滅亡するかも知れない強国との戦争に喜んで賛成する人はだれもいなかったのじゃないかな。東条英機またしかりです。開戦前の企画院のシミュレーションで、戦争が数年続けば日本が焼け野原になるという結果を聞いて、東条は、うーん、やはり負けか、しかしやってみなければわからんこともあるだろう、といったと云われています。
海軍の永野修身軍令部長(海軍の作戦の親玉)も、「戦わざれば亡国(石油が枯渇してもうアメリカのいうなりにならざるをえない)、戦うも亡国。前者は魂まで失った真の亡国だが、戦って負けたなら児孫は再起するだろう」といいました。私はこれを支持する。
インドネシアについては別のエピソードを紹介します。(これはもう2度ほど書きましたが)
終戦後1945年8月17にインドネシアが独立を宣言したすぐあとに、そこを再び植民地にしようとしてオランダ軍がイギリス軍の援助でやってきました。もはや独立宣言をしたインドネシア人たちは抵抗を始めました。日本軍の武器を使ったり、竹槍を使ったりして。
これに手をやいたイギリス軍がまだ組織の残っている日本軍に命じて抵抗インドネシア人の排除を命じました。(バンドン事件)。これに激高したインドネシア人が各地で民間日本人狩りを始めました。
中部ジャワのスラマンのブル刑務所にはこうして百数十人の日本人が収容された。(こういう事件は各地で起こった)。
やがてインドネシア人達は収容日本人(民間人)の虐殺を始めた。ある部屋では36人が殺された。のちに救出のために駆けつけた日本軍部隊はその部屋の壁に血で書かれた文字を発見した。
それにはこう書いてあった。
「我ら日本人36人、インドネシア独立のため喜んで死ぬ。インドネシア独立万歳」
これを書いたのは森永乳業の現地社員、阿部領二氏(鶴岡市出身)。36名の名も血で書かれていた。ここでは結局約150人の民間の日本人が殺された。
ある人はこのことをこう書いている。
「インドネシア人に銃で撃たれ、死に瀕しながら、なおも愛するインドネシアの独立を願う、この日本人の無償の心情がわからないのでは、それは貧しい独立というべきであろう」(ムルデカに喝采を、菊池秀広)。
私は断言してもいい。一般の民間人でこのような行動をとれる民族は日本人だけだと。
従って、インドネシア独立に参加した元日本兵は帰れなくなったからしかたなく参加したのではないですね。このような貧しい考え方をするのは日本では左翼がおおいですね。(左翼の根本は人間不信です)
私が戦争に関する本をよんでよかったとあもうことは、いまの日本人ならできそうもないことを行った日本人(民間軍人双方)のことを知ったことです。日本人に対する誇りを持てたことです。
多くの日本人が先の戦争を侵略戦争と思いたくないのは、もし侵略戦争だとすると戦死した多くの兵士達は侵略の先棒を担いだことになるのか、いやそうじゃない、と思いたい元兵士や戦死した兵士の遺族の心のひだと侵略性の回路が結びつかないからという考えを私はしない(これに関して、近時のbosintang兄の投稿を参照しました)。
子供のころから中国大陸で戦った人や南方にいていた人たちの経験談を色々聞きました。私の知り合いのアメリカ人の女性の父親はベトナム戦争に大尉のころ参加したそうですが、家では戦争の事は一言も語らなかったとのことでした。
これは メッセージ 462 (la_onni77 さん)への返信です.