la onni さんへ
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/04/14 14:08 投稿番号: [464 / 9237]
私は良い戦争だったとはいってません。正しい戦争だったと。正しい戦争でも悲惨な戦争はある。
パル判事は日本無罪論をいっています。いかなる小国といえども、これだけ圧迫を受ければ武器を持って裁ち上がらざるを得ないだろうと。
日本が行った悪い例、納得できるものはありません。
満州国の建設ーー五族協和。大変良いこと。当時数多くの日本青年が五族協和の理想にもえて、満州の辺境の地におもむきました。大いなるかな満州は、の歌で知られる大同学院の卒業生達もそうです。彼らは辺境の満人達は純朴そのものだと感嘆したそすですが、彼らの夢を破ったのは悪徳日本人達。(これはやはり初期の台湾支配の時もいえるようです。日本で食いっぱぐれた悪い連中が台湾にやってきて困ったそうです。彼らを追放するのにかなり時間がかかったようです。しかし当局は追放しました。)。
これは満州に派遣された軍隊にもいえます。ある指揮官が砲撃を命じたところ、部下のひとりが、匪賊がいるかいないか確認しないで砲撃すれば、良民を撃ってしまうことになる、といって砲撃に反対しましたが、その指揮官は、匪賊と良民を区別していては戦争はできない、といったそうです。
朝鮮、台湾の植民地化については多くの人たちがもうたくさん語ってきていますので、語りません。ただいえることは欧米列強の植民地政策と日本の植民地政策は全く異質ということです。朝鮮、台湾を愛した日本人はたくさんいたでしょう。インドネシア人を愛したオランダ人がいましたか?インド人を愛したイギリス人がいましたか?ベトナム人を愛したフランス人がいましたか?もっと西欧列強の植民地の歴秦を勉強することを勧めます。(たとえば、西欧の植民地喪失と日本ーーカウスブルック著、草思社ーーなどを読んでみてください。これは韓国カテで紹介されてました)。オランダは国家そのものがインドネシアなくては成り立たないくらいインドネシアから搾取してました。イギリスは自国の綿産業をほごするためインド人綿加工
職人の手首を切ってまわりました。この手首をあつめて山としたものが手首塚として知られています。
大東亜戦争の原因はペルーまでさかのぼらなければ、少なくとも日露戦争のころまでさかのぼらなければ分かりません。(続く)
これは メッセージ 462 (la_onni77 さん)への返信です.
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