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Re: 平等とは

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/12/05 22:49 投稿番号: [4545 / 9237]
>>江戸時代の百姓は武士に収奪されるだけで、自分たちの作った米を口にできなかった、というのは貧農史観の決め付けであり、さまざまな代償は必要なものの、最終的には米を食えた、というのと似てはいます。

>江戸時代の農民=悲惨なばかり説に対して、「しかし、江戸時代のコメの生産量は、年貢として取り立てられた量よりも明らかに多い。では残りのコメはどうなったかと言えば、人のクチに入った、としか考えようが無いのである」という部分です。

>生産量がまるまる収奪量とイコールなんてことは、科学的にあり得ないですしね。

東亜さんも仰ってられますが、井沢氏のその辺りの記述は「貧農史観を見直す」(佐藤常雄、大石慎三郎共著)ですね。
江戸時代の各種資料(それこそ、幕府の資料や天領の代官所の収支資料、各藩の財政文書まで)調べて、「貧農史観」を覆した人に、三田村鳶魚翁がおられますが。

米と、他の農産物、特産物、全生産額に対してだと年貢料は10%前後とか。
米に関しましても。
江戸時代後期の米生産高約3000万石。
同時代の総人口約3000万人。
武家人口は5%程ですし、公家・寺社人口は更に少ない。
双方で10%いないんですね。200万強、くらいでしたか。

で、米の平均年貢率を35%と設定しても、年間約1050万石。
実際に武家・公家・寺社が口にする米が200万石強。
都市住民の総人口は更に少ないですから、商家・職人入れても300万石強。(江戸期、人口の9割は農民ですから)
年貢の残り、700万石ほど。この中には荒済用の備蓄もありますが、結構な量は市場に流れたのではないでしょうか。

農民に関して言えば、米生産量の年貢差し引き量65%の内、種籾は全体の5%程ですから、残高60%
他に地代、日雇い扶持で25〜30%としても、最終残高30〜35%は「自分持ち」ですし。
換金用に使うとしても、平均的中農の耕作水田=1町としても、生産高約二十石(江戸期の1町辺り平均収穫高)の内、六石〜七石は持てた訳で。
他に、特産品や副産物の売却益もありますから、米を「購入」する事も出来ますし。
中農だと毎食、小作でも1日1食は「米の飯」食べれた筈なんですよね。

いずれも「生産物は『米だけ』ではない」んですよね。
少なくとも戦後以降の「江戸史」は、此処の所、わざと抜かしている気がしますが・・・

>>ええ。偉い人は大盤振る舞いをしてそれこそ「徳」を施すものだし、下の者はそれにたかるのが当然の権利、というかたちですね

>本当の意味での相手のためになる「援助」とは、相手がひとり立ちして自分自身で生活できるようにしてやるまでで良いのだと思います。
>そして、努力したらお金が儲かるんだというやり甲斐を感じさせてやる、と。
>それはしかし、カネをばらまくよりも面倒で根気が要る仕事でしょうけれども。

ここって、儒教圏と、儒教を受け入れつつも、封建制度が近世になるまで発展していった日本との違い、ですね。

日本の「偉い人」はイコール「貧乏人」でしたから(苦笑)
これは、「自分の富を収奪するよりまず、社会インフラ整備にコストを投入する」為ですが。
幕府・大名家、共にまず、収穫量を増やすために開墾する。そこに水利を良くする為に、治水整備を行う。
取れた生産物を潤滑に市場に流すために、街道や港、宿場を整備する。
10年、20年では出来ないんですね。
それこそ、1世紀、2世紀と積み重ねる。
その結果、手元不如意になる家も出ましたが。
概ね、生産環境の拡大と整備、流通網の拡大と整備を行えば、モノも金も回りますし。
その結果は、回りまわって、自分に還る。

儒教圏の「偉い人は大盤振る舞いをしてそれこそ「徳」を施すものだし」と言うのは、ワタクシ只の「無能者の言い訳」と捉えております。
結局は目先だけしか見れない大馬鹿者、と言う事を自ら喧伝しているような者ですし・・・
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