Re: れRe: >オゴルという行為
投稿者: pretzs002 投稿日時: 2006/11/24 13:05 投稿番号: [4476 / 9237]
とても、興味深いカキコミ、ありがとうございます。
>日本語では「怨」(対象は他人)と「恨」(対象は自分の業)「憾」(対象は自分自身の心=反省)のとなっているようですが、あきらかに最近の朝鮮人は「怨」に見えますよね。
確かに自省の言葉というものは、掲示板においてはほとんどみかけませんね。
ただし私には、必死に弱みを見せないようにしているとしか、思えませんが。
ここで見る限り、彼らにとって弱みを少しでも曝け出すことは、直ちに死活問題に関るのかしら、と思うくらい。
>朝鮮人以外は「心・精神」を重要視しますが、朝鮮人はそれ以上に「魂」を重要視しているのではないでしょうか?
>しかし「魂」の世界ではこのような限界は何もない。魂の世界では思ったら即、自分の思いのままの世界といわれている。何もかも思いのままの世界であれば自分と他人の間に比較する物は何も出ず、肉体を元にして起こりうる煩悩とは無縁の聖域であろう。
おもしろい捉え方ですね。
あちらの方の考え方には、なにかしら制約をうけることを善しとはしない傾向がありそうです。
本で読んだのですが、子どもの躾にしても、「自然性」を重視し、親もあまりしつけず、怒らないようです、教育はあれほど熱心なのに。
それが、個性に繋がるとでもお思いなのか。。。
自己抑制的な日本人には、子供の頃から自己主張のトレーニングも必要ですが、私はこれらの両立が必要と思っています。
これも以前読んだ本からですが、
「米国人の場合、自己主張を尊重するが、その自己主張は同時に他者の権利の尊重を前提としており、他者を傷つけることを意図した、または他者の権利を否認する行動である攻撃性とは明確に区別している。」
大学院では、自己主張の際に直接他者に批判をぶつけるような表現ではなく、相手の主張をまず認め、それから自分の意見を述べる、というプロセスの奨励の例も載ってました。
これは、彼らにとってとても難しいことなのではないかと思います。
>この世にてけだものを取るか怠け者になるか。どちらも嫌である。
>私たちの「心」にてバランスを取り、美しい三角形を作ることこそ私たちの勤めであるのではないか。
>普段自分の「魂」の世界に浸っていて「肉=現実世界」に戻った時にまで引きずっている。 だから他人の身になって考えたり、他人との比較する尺度がおかしい。 放火や強姦など自分勝手な犯罪が後を絶たない。 「心=精神」を軽視しているから美術品を愛でたり、職人芸に感嘆できない。 いかがでしょうか?
通常、動物には精神はなかろうと思いますから、「狼少女」みたいに文明から隔離されて育ったら、人間も魂の世界のみになるのでしょうね。
あら、そ〜したら、あちらは野生の王国になってしまいますわ。orz
(・・・おっと、東方礼儀の国に対して失礼なことを。)
普通は「自然に」といっても、人間がかかわる以上成すがままとはならないでしょう、つまり、そこに「精神」が加わるということになりますか。
日本の「恥」とか「謙虚」はもろ、精神ですね。
何故、あちらでは精神の文化が育たなかったのでしょうね、やはり、歴史が成せる業なのでしょうか。
悲しいことですが、最近の日本でも「心=精神」を軽視する傾向が蔓延りつつあるように思います。
そういう点からいえば、韓国は反面教師としてとてもよろしい存在なのですよ。(苦笑)
(ダラダラと長くなってしまい、申し訳ありません。)
>日本語では「怨」(対象は他人)と「恨」(対象は自分の業)「憾」(対象は自分自身の心=反省)のとなっているようですが、あきらかに最近の朝鮮人は「怨」に見えますよね。
確かに自省の言葉というものは、掲示板においてはほとんどみかけませんね。
ただし私には、必死に弱みを見せないようにしているとしか、思えませんが。
ここで見る限り、彼らにとって弱みを少しでも曝け出すことは、直ちに死活問題に関るのかしら、と思うくらい。
>朝鮮人以外は「心・精神」を重要視しますが、朝鮮人はそれ以上に「魂」を重要視しているのではないでしょうか?
>しかし「魂」の世界ではこのような限界は何もない。魂の世界では思ったら即、自分の思いのままの世界といわれている。何もかも思いのままの世界であれば自分と他人の間に比較する物は何も出ず、肉体を元にして起こりうる煩悩とは無縁の聖域であろう。
おもしろい捉え方ですね。
あちらの方の考え方には、なにかしら制約をうけることを善しとはしない傾向がありそうです。
本で読んだのですが、子どもの躾にしても、「自然性」を重視し、親もあまりしつけず、怒らないようです、教育はあれほど熱心なのに。
それが、個性に繋がるとでもお思いなのか。。。
自己抑制的な日本人には、子供の頃から自己主張のトレーニングも必要ですが、私はこれらの両立が必要と思っています。
これも以前読んだ本からですが、
「米国人の場合、自己主張を尊重するが、その自己主張は同時に他者の権利の尊重を前提としており、他者を傷つけることを意図した、または他者の権利を否認する行動である攻撃性とは明確に区別している。」
大学院では、自己主張の際に直接他者に批判をぶつけるような表現ではなく、相手の主張をまず認め、それから自分の意見を述べる、というプロセスの奨励の例も載ってました。
これは、彼らにとってとても難しいことなのではないかと思います。
>この世にてけだものを取るか怠け者になるか。どちらも嫌である。
>私たちの「心」にてバランスを取り、美しい三角形を作ることこそ私たちの勤めであるのではないか。
>普段自分の「魂」の世界に浸っていて「肉=現実世界」に戻った時にまで引きずっている。 だから他人の身になって考えたり、他人との比較する尺度がおかしい。 放火や強姦など自分勝手な犯罪が後を絶たない。 「心=精神」を軽視しているから美術品を愛でたり、職人芸に感嘆できない。 いかがでしょうか?
通常、動物には精神はなかろうと思いますから、「狼少女」みたいに文明から隔離されて育ったら、人間も魂の世界のみになるのでしょうね。
あら、そ〜したら、あちらは野生の王国になってしまいますわ。orz
(・・・おっと、東方礼儀の国に対して失礼なことを。)
普通は「自然に」といっても、人間がかかわる以上成すがままとはならないでしょう、つまり、そこに「精神」が加わるということになりますか。
日本の「恥」とか「謙虚」はもろ、精神ですね。
何故、あちらでは精神の文化が育たなかったのでしょうね、やはり、歴史が成せる業なのでしょうか。
悲しいことですが、最近の日本でも「心=精神」を軽視する傾向が蔓延りつつあるように思います。
そういう点からいえば、韓国は反面教師としてとてもよろしい存在なのですよ。(苦笑)
(ダラダラと長くなってしまい、申し訳ありません。)
これは メッセージ 4468 (doronpa95 さん)への返信です.