Re: 韓国人による韓国人の搾取
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/24 17:04 投稿番号: [3004 / 9237]
まずはトピ主代行代理さまに御礼を申し上げ、当トピの発展を祈念いたします。
>儒教の枠組みにおいては、
「道徳」は「権力」と「富」とセットになっており、
儒教社会において「道徳」を語るとき、
そこには「利益」というものは、排除されていない。。。とか
孔子以後朱子学ができるまでの儒教は、平たく言えば権力を担当する士大夫階層のマナーでありました。
支那においては「権力」と「富」がセットでした。少なくとも権力によって富が築けました。清代においては「賄賂をまったく取らない地方官でも三代は暮らせる収入がある(清官三代
白雪銀だったかな?)」というくらいでした。正規の給与以外に民間事業の許認可等について業者からのコミッションや公共事業費から手数料を取れたからです。
一方「富」だけを持つ者(大商人)も存在し得ました。
江戸期日本においては、「権力」と「富」は分離しており、権力を持つ武士は概して貧しく(お殿様だってそうです。年貢等の収入から藩の運営費を差っ引けばほとんど何も残らないどころか赤字です。殿様個人の手取りなんて無に等しい)、富のある商人は権力がありませんでした。
ゆえに多くの侍は公意識のみを持ち利権とは縁が薄かったので敬意を払われたわけです。
朝鮮を見てみれば、商業が発展し難いぶん、富だけを持つ階層も形成しがたく、支那より徹底して権力と富は不可分のセットでありました。
李退渓は朱子学を継承発展させたのですが、それはすでに道徳律ではありません。守るべき義のためには国を滅ぼしてもかまわないという現実無視のイデオロギーでした。
李朝末期に攘夷論を唱えた両班の「衛正斥邪」は、国を衛るより正しい道を衛れ、という国民にとってはなはだ迷惑な空論でした。
ひとつ李朝の要人を例にあげます。
高麗に仕え、のち李朝に仕えた孟思誠は左議政・右議政という顕官まで登った人物ですが、清廉な人柄で知られ、「その家はぼろくて雨漏りだらけだった」「故郷へ帰省するさいは、官服を着ず官馬を使わず目立たないように行き来した」ことが評伝に大きく書かれています。
逆に考えると、官吏は、いい家に住み、帰省という私用でも制服を着て官の馬を使用するという職権濫用・公私混同はあたりまえであったということです。
彼らの持っている「道徳」と私たちが想像する「道徳」には隔たりがあるようですね。
これは メッセージ 3002 (pretzs002 さん)への返信です.
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