義は過ごすべからず
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/07/29 08:36 投稿番号: [2387 / 9237]
仁可過也
義不可過也
(蘇東坡)
正義、正義という人間がいると、うっとうしい。仁はあり過ぎてもいいが、義はほどほどがいい(60%くらいがいい)。
なんでもかんでも、正義をいう人間。
立ちション便についての正義、煙草の吸殻を捨てない正義、道路の歩き方の正義、大声を出さない正義、賄賂を受け取らない正義・・・すべての事象で正義をいい、不正義をゆるさない100%正義人間。
但しここでもやはり程度がでてきますね。千代田区で歩き煙草で、ぽい捨てを許さない正義。荒野でもぽい捨てを許さない正義。(街角での立ち小便と沙漠での立ち小便も同じ)。正義の100%の貫徹を主張すると後者も含むことになりますが、ぽい捨てについての正義は、人のかなりいる所(車中からのぽい捨ても含んで)でのぽい捨てのみを言うとすると、千代田区ではぽい捨ては不正義だが、沙漠でのぽい捨てくらいはよかんべー、はぽい捨てについての正義派に分類。
そう言う人が60%強いる社会は、ぽい捨てについて正義が行なわれている社会(と入っても40%近くがぽい捨てをする社会はぽい捨てについての正義が行なわれていないともいえるし、これも事象ごとにその比率をかんがえなければならないかも。例えばぽい捨てについての正義社会とは、喫煙者の1%以下しか町中でぽい捨てをしない社会を言う、とか)。
「あの人は几帳面だ」
すべての事柄について几帳面なのか。
個々の事柄について、どの程度几帳面なら、几帳面な人間に分類されるのか。
これは メッセージ 2384 (J_Fooker さん)への返信です.
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