キリスト教と羞恥の文化
投稿者: shibural7 投稿日時: 2001/06/18 18:07 投稿番号: [1168 / 9237]
日本の文化は羞恥の文化である。日本人にとって、「価値」は人間関係を考慮して決まる。 他人と調和された行為が「善」という考え方。人から「変わってる」と言われないのが「良さ」になっている。
キリスト教の核心は罪の告白による救いである。従って絶対者の神様の前で自分の罪を告白したり人の前で裸になって「ちっとも高尚でない自分」を告白したら人に自分が羞恥に思われる、と思うのである。日本人に生まれつきの罪、現世の罪を告白させるのは苦悩を加重させる事になる。なぜなら、日本人は人に羞恥に思われない事が行為の基準で、人から批判されない事が行為の原理だからである。日本人に福音を伝播するのはプライバシ侵害に見做されやすい。キリスト教徒になる為の罪の告白や自分の非偉大さを絶対者と人の前で堂々と告白する過程は受け難いものである。また、日本国内で少数グループに過ぎないキリスト教に属して大部分の日本人の眼にへんてこな行為に映される、絶対者への順従行為を貫く事も大変だろう。
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