下朝鮮文学の世界化?
投稿者: cyber_assassinat_x 投稿日時: 2011/09/23 08:26 投稿番号: [999 / 1457]
壮大な朝鮮妄想です。
はっきり言って、元の優秀な文学など存在しない。
それから、優秀な翻訳者を育てるより、
自分の言語の文字が読めない文盲の鮮人共を教育する方が大事だね。
というか、日本語で言うと全てが平仮名で書かれて単語の意味が固定されない欠陥愚民文字は廃止すべきだ。
小生は戦前の朝鮮語や日本語のように漢字と仮名が交じった文体が最適だと思うなあ。
【コラム】韓国文学が日本文学のように世界へ行くためには
中央日報日本語版 9月22日(木)18時19分配信
隣国の日本と比較すると、韓国文学が海外に紹介された歴史はあまりにもみすぼらしい。 文学評論家ユ・ジョンホ氏によると、近代ヨーロッパに韓国文学を最初に紹介した人は金玉均(キム・オッキュン)を暗殺した旧韓末の保守政客・洪鍾宇(ホン・ジョンウ、1854−1913)という。 韓国人初のフランス留学生だった洪鍾宇は1892年に「春香伝」を翻案し、『Printemps Parfume(芳しい春)』というタイトルで現地で出版した。
一方、日本は早くからヨーロッパ人の文学的想像力の中に意味のある存在として定着した。 1726年に出版された『ガリバー旅行記』はすでに日本の長崎に言及している。西洋の『イソップ寓話集』はそれより80年前の1639年に日本語に翻訳されて紹介された。
韓国文学の‘井の中の蛙’状況は20世紀に入っても続く。 詩人の李根培(イ・クンベ)氏の話だ。 1981年、李氏は国内の文人を率いて海外旅行へ行った。 タイを経てギリシャを訪問した時、あるギリシャの文人が李氏に尋ねた。 「あなたの国に固有の話はあるのか?、文字は?」。
満50歳を超えてこそ海外旅行ができた時代だ。 韓国人に会うこともないのに、その国に詩や小説があるのか、いくらソクラテスの後えいといっても知る由がなかった。
韓国文学を体系的に知らせようという努力が始まったのは60年代後半だ。 日本人作家の川端康成が68年にノーベル文学賞を受賞したのが大きい。 これに刺激されて、当初はユネスコ韓国委員会のような民間機構が先頭に立った。 96年には官民合同の韓国文学翻訳金庫がスタートし、01年には韓国文学翻訳院が事業を引き継いだ。 その間に翻訳院が得た成果は少なくない。 11年間に30言語、716件の国内著作物の翻訳を支援した。 このうち文学は392件で全体の半分を超える。 翻訳院の今年の予算は60億ウォン(約4億円)を上回る。
問題はこうした努力にもかかわらず、完成度の高い翻訳が必要という声が繰り返し出ているという点だ。 翻訳院が支援した文学翻訳ではだめということなのか。 文学評論家キム・ファヨン氏は「韓国文学の海外紹介は市場に任せておくのが最も望ましい」と話す。 今のように韓国政府が翻訳支援金を出す方法では、これを手に入れようとする、質の良くない現地出版社ばかり群がるということだ。 支援金が目的の出版社が韓国文学を売ろうという努力をするはずがない。 このため出版されたところで外国の読者には届かない。 こうした悪循環の繰り返しは結局、韓国文学の競争力を落とすというのがキム氏の考えだ。
キム氏の主張は翻訳院をなくそうということではない。 より長期的な計画を立てて、優秀な韓国文学翻訳者を養成する方向に力を集中しなければならないという注文だ。 ちょうど翻訳院は22、23日、外国専門家を招待し、翻訳院10年の成果と今後の道について討論する行事を開く。 韓国文学をより効果的に外国に知らせる妙策がたくさん出てくることを望む。
h ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110922-00000043-cnippou-kr
h ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110922-00000044-cnippou-kr
はっきり言って、元の優秀な文学など存在しない。
それから、優秀な翻訳者を育てるより、
自分の言語の文字が読めない文盲の鮮人共を教育する方が大事だね。
というか、日本語で言うと全てが平仮名で書かれて単語の意味が固定されない欠陥愚民文字は廃止すべきだ。
小生は戦前の朝鮮語や日本語のように漢字と仮名が交じった文体が最適だと思うなあ。
【コラム】韓国文学が日本文学のように世界へ行くためには
中央日報日本語版 9月22日(木)18時19分配信
隣国の日本と比較すると、韓国文学が海外に紹介された歴史はあまりにもみすぼらしい。 文学評論家ユ・ジョンホ氏によると、近代ヨーロッパに韓国文学を最初に紹介した人は金玉均(キム・オッキュン)を暗殺した旧韓末の保守政客・洪鍾宇(ホン・ジョンウ、1854−1913)という。 韓国人初のフランス留学生だった洪鍾宇は1892年に「春香伝」を翻案し、『Printemps Parfume(芳しい春)』というタイトルで現地で出版した。
一方、日本は早くからヨーロッパ人の文学的想像力の中に意味のある存在として定着した。 1726年に出版された『ガリバー旅行記』はすでに日本の長崎に言及している。西洋の『イソップ寓話集』はそれより80年前の1639年に日本語に翻訳されて紹介された。
韓国文学の‘井の中の蛙’状況は20世紀に入っても続く。 詩人の李根培(イ・クンベ)氏の話だ。 1981年、李氏は国内の文人を率いて海外旅行へ行った。 タイを経てギリシャを訪問した時、あるギリシャの文人が李氏に尋ねた。 「あなたの国に固有の話はあるのか?、文字は?」。
満50歳を超えてこそ海外旅行ができた時代だ。 韓国人に会うこともないのに、その国に詩や小説があるのか、いくらソクラテスの後えいといっても知る由がなかった。
韓国文学を体系的に知らせようという努力が始まったのは60年代後半だ。 日本人作家の川端康成が68年にノーベル文学賞を受賞したのが大きい。 これに刺激されて、当初はユネスコ韓国委員会のような民間機構が先頭に立った。 96年には官民合同の韓国文学翻訳金庫がスタートし、01年には韓国文学翻訳院が事業を引き継いだ。 その間に翻訳院が得た成果は少なくない。 11年間に30言語、716件の国内著作物の翻訳を支援した。 このうち文学は392件で全体の半分を超える。 翻訳院の今年の予算は60億ウォン(約4億円)を上回る。
問題はこうした努力にもかかわらず、完成度の高い翻訳が必要という声が繰り返し出ているという点だ。 翻訳院が支援した文学翻訳ではだめということなのか。 文学評論家キム・ファヨン氏は「韓国文学の海外紹介は市場に任せておくのが最も望ましい」と話す。 今のように韓国政府が翻訳支援金を出す方法では、これを手に入れようとする、質の良くない現地出版社ばかり群がるということだ。 支援金が目的の出版社が韓国文学を売ろうという努力をするはずがない。 このため出版されたところで外国の読者には届かない。 こうした悪循環の繰り返しは結局、韓国文学の競争力を落とすというのがキム氏の考えだ。
キム氏の主張は翻訳院をなくそうということではない。 より長期的な計画を立てて、優秀な韓国文学翻訳者を養成する方向に力を集中しなければならないという注文だ。 ちょうど翻訳院は22、23日、外国専門家を招待し、翻訳院10年の成果と今後の道について討論する行事を開く。 韓国文学をより効果的に外国に知らせる妙策がたくさん出てくることを望む。
h ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110922-00000043-cnippou-kr
h ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110922-00000044-cnippou-kr
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaaflqadb_1/999.html