力尽きるまであっと驚かせたい(呆笑)1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2010/11/15 13:24 投稿番号: [9847 / 10735]
記事入力 : 2010/11/14 11:40:06
相撲:春日王「力尽きるまであっと驚かせたい」
日本の相撲は動物的なスポーツだ。下半身まで体の大半を露出したクマのような力士らがちょんまげ姿で土俵に上がって互いを押し出すというこの単純な競技に、日本人たちはプライドを感じる。そんな相撲を揺さぶった韓国人がいる。
金成沢(キム・ソンテク、33)、しこ名は春日王克昌だ。1998年、仁荷大の3年の時に玄海灘を渡ってから5年で、980人の力士のうち最高峰の40人が属する「幕内」、すなわち相撲のメジャーリーグにまでのし上がった。
■金成(仁荷大の3年)ほど強靭(きょうじん)な精神力を持ち合わせたやつはいない
3歳の時、父が他界した。3人兄弟を女手一人で育てることになった母は、ビルの清掃や食堂の皿洗いなどのアルバイトを転々とした。同年代に比べて体が大きかった金成沢が、生き残っていくことのできる道はシルム(韓国相撲)だけだった。仁川プゲ小学校2年の時のことだ。
富平中・高校時代には一度も練習を休まなかった。学校を卒業するころ、プロチームが1億ウォン(約718万円)近い契約金を提示した。「家が貧しかったから、早く金を稼がなければならないといつも思っていました」。しかし、結果は大学進学だった。
「大学に行けば、体育の先生くらいにはなれる。それが嫌なら契約金でももらって、一人で生活しなさい」と母が言ったのだ。1998年の夏、スカウトのために韓国へやって来た春日山親方に当時の仁荷大監督が金成沢を紹介した。
「どんなに悪い条件でも耐え抜いていくことができる精神力を持ち合わせたやつは、あいつしかいない」。金成沢は「日本に行って直接この目で見た相撲のスケールの大きさに驚いた。こうした力士たちと対戦してみたいと思った。うまくいけば、金も名誉もすべて手に入れることができると思った」。
■「パスポート没収され、外国人労働者として肩身狭し」
なぜかその時は、母も「頑張りなさい」と息子を励ました。日本の神奈川県に到着したが、そこは希望の地どころか、苦労の地そのものだった。21歳の金成沢は当時、相撲部屋にいた7人の中で最も年上だった。
しかし、序列は徹底して実力と弟子入り順で決められていた。すぐ上の15歳の「先輩」に横っ面をひっぱたかれるのは茶飯事だった。毎朝4時30分に起きて洗濯し、掃除もした。その後、数カ月間は米のとぎ方や野菜の刻み方を学んだ。
日本語もまともに聞き取れない中、受けなければならなかった相撲理論教育も、苦痛だった。少しでも居眠りすれば、恐ろしい先輩の竹刀が頭に飛んできた。給料ももらえなかった。あるのは、硬い座敷と納豆、梅干しだけだった。
「こんなことのためにシルムを捨てたのか」と自分を責めてもみたが、そこで負けるわけにはいかなかった。「韓国人にはやっぱり無理だ」という日本人の偏見を打ち破りたかったのだ。自分勝手に辞めるわけにもいかなかった。入国した初日、「うまくなったら返してやる」と、パスポートを奪われたのだ。
2に続きます。
相撲:春日王「力尽きるまであっと驚かせたい」
日本の相撲は動物的なスポーツだ。下半身まで体の大半を露出したクマのような力士らがちょんまげ姿で土俵に上がって互いを押し出すというこの単純な競技に、日本人たちはプライドを感じる。そんな相撲を揺さぶった韓国人がいる。
金成沢(キム・ソンテク、33)、しこ名は春日王克昌だ。1998年、仁荷大の3年の時に玄海灘を渡ってから5年で、980人の力士のうち最高峰の40人が属する「幕内」、すなわち相撲のメジャーリーグにまでのし上がった。
■金成(仁荷大の3年)ほど強靭(きょうじん)な精神力を持ち合わせたやつはいない
3歳の時、父が他界した。3人兄弟を女手一人で育てることになった母は、ビルの清掃や食堂の皿洗いなどのアルバイトを転々とした。同年代に比べて体が大きかった金成沢が、生き残っていくことのできる道はシルム(韓国相撲)だけだった。仁川プゲ小学校2年の時のことだ。
富平中・高校時代には一度も練習を休まなかった。学校を卒業するころ、プロチームが1億ウォン(約718万円)近い契約金を提示した。「家が貧しかったから、早く金を稼がなければならないといつも思っていました」。しかし、結果は大学進学だった。
「大学に行けば、体育の先生くらいにはなれる。それが嫌なら契約金でももらって、一人で生活しなさい」と母が言ったのだ。1998年の夏、スカウトのために韓国へやって来た春日山親方に当時の仁荷大監督が金成沢を紹介した。
「どんなに悪い条件でも耐え抜いていくことができる精神力を持ち合わせたやつは、あいつしかいない」。金成沢は「日本に行って直接この目で見た相撲のスケールの大きさに驚いた。こうした力士たちと対戦してみたいと思った。うまくいけば、金も名誉もすべて手に入れることができると思った」。
■「パスポート没収され、外国人労働者として肩身狭し」
なぜかその時は、母も「頑張りなさい」と息子を励ました。日本の神奈川県に到着したが、そこは希望の地どころか、苦労の地そのものだった。21歳の金成沢は当時、相撲部屋にいた7人の中で最も年上だった。
しかし、序列は徹底して実力と弟子入り順で決められていた。すぐ上の15歳の「先輩」に横っ面をひっぱたかれるのは茶飯事だった。毎朝4時30分に起きて洗濯し、掃除もした。その後、数カ月間は米のとぎ方や野菜の刻み方を学んだ。
日本語もまともに聞き取れない中、受けなければならなかった相撲理論教育も、苦痛だった。少しでも居眠りすれば、恐ろしい先輩の竹刀が頭に飛んできた。給料ももらえなかった。あるのは、硬い座敷と納豆、梅干しだけだった。
「こんなことのためにシルムを捨てたのか」と自分を責めてもみたが、そこで負けるわけにはいかなかった。「韓国人にはやっぱり無理だ」という日本人の偏見を打ち破りたかったのだ。自分勝手に辞めるわけにもいかなかった。入国した初日、「うまくなったら返してやる」と、パスポートを奪われたのだ。
2に続きます。
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