ちょっと気になった
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/09/14 07:04 投稿番号: [7932 / 10735]
<北京パラリンピック>ホン・ソクマン選手「支えてくれた妻に金メダル捧げたい」
一日の練習を終えると、激痛が腰を襲う。空気の抵抗を極力抑えるために腰をかがめた状態で休む間もなく車椅子の車輪を回すパラリンピック陸上競技は忍耐の連続だ。しかし韓国障害者陸上の看板ホン・ソクマン選手(33、済州道障害者体育会)はこの4年間、周囲の無関心と戦いながらパラリンピック2連覇を達成した。
11日午後、中国・北京のパラリンピックメーン競技場で開催された陸上男子400メートルT−53(車椅子トラック種目)決勝戦はホン選手のための競技だった。スタートから跳び出したホン選手は終始レースをリードし、一番で決勝点を通過した。電光掲示板に48秒86という世界新記録が表示された。パラリンピックメーン競技場に初めて愛国歌(韓国の国歌)が響いた。
北京オリンピック(五輪)の際には、ここでは一度も愛国歌を聞くことができなかった。障害者、健常者を問わず、陸上が弱い韓国でホン選手だけが世界のトップクラスにいる。2004年アテネパラリンピックの200メートルと400メートルで優勝したホン選手は、2006年極東・南太平洋障害者競技大会で400メートルと800メートルを、2007年スイス車椅子シリーズで200メートルと400メートルを制している。
ホン選手は自分を見守ってくれた家族にまず感謝の気持ちを伝えた。ホン選手は「優勝後のインタビュー中は妻と子どものことが頭に浮かんだ。16日が子どもの誕生日だが、1歳の誕生日以外には誕生日を祝ってやれなかった。今回もそうなってすまなく思う」と話した。
ホン選手の家族愛は格別だ。妻イデ・エツコさん(35)とは国境を越えて2005年6月に縁を結んだ。
2人は1998年の大分国際障害者車椅子マラソンで、選手とボランティアとして初めて出会った。その後、電話と手紙でやりとりが続いたが、2000年にイデさんが学業のために引っ越しし、連絡が途切れた。しかし2004年、待ち続けていた手紙がついに届いた。イデさんの心が込められた手紙には「返事がなければ、ご縁ではないと受けとめて心をたたむ」と書かれていた。天が2人の間を取り持ち、2人は結婚することにした。
しかし3歳の時に小児まひにかかり身動きの不自由な外国人婿に対し、イデさんの家族がいい顔をするはずはなかった。ホン選手は「妻の両親の反対が強かったので、自分を守ってくれたエツコには本当に感謝している」と話した。
イデさんは05年に結婚し、米国に留学するホン選手を支えた。米イリノイ大学(アーバナ・シャンペーン校)に留学するホン選手が先に渡米し、1年後に家族を呼び寄せるという計画を立てたが、イデさんは黙って支援した。当時、ホン選手は車椅子陸上団の選手と勉学を並行し、米国の先進的な障害者スポーツを学ぼうとしていた。しかし障害者チームがアマチュアレベルだったうえ、一人で家を守っているイデさんが心配になり、1カ月で留学を断念した。
家族の大切さを思い知ったホン選手はよりいっそう練習に励んだ。ホン選手は「以前はメダルを取れるか取れないかはあまり気にしていなかった。一人で暮らしていたので関係なかった。ところが家族ができ、自分の競技の結果によって生活が変わるとなると、おのずと責任感が湧いてきた」と語った。
「トラックは自分の職場、陸上は自分の職業」というのがホン選手の鉄則。優れた実力の持ち主であるため、ホン選手は障害者スポーツ選手の中でも珍しくアスリートとして生活している。家長として生計は自分が責任を負わなければならないと考え、練習の鬼になったのだ。
済州道(チェジュド)に住むホン選手は済州道開発公社の後援を受けている。中小企業の職員ほどの報酬だが、アテネパラリンピックで獲得した金メダル年金があるうえ、ホン選手の闘魂に感動した個人・企業後援者がサポートしてくれるので、ホン選手は決して孤独でない。
中央日報 Joins.com
2008.09.13 12:34:12
>小児まひにかかり身動きの不自由な外国人婿に対し、イデさんの家族がいい顔をするはずはなかった。
>中小企業の職員ほどの報酬
まあ、こりゃあどうでも良いが
>アテネパラリンピックで獲得した金メダル年金がある
南韓は貰えるんですね。日本はリハビリの一環と位置づけられるから貰えないらしい。
一日の練習を終えると、激痛が腰を襲う。空気の抵抗を極力抑えるために腰をかがめた状態で休む間もなく車椅子の車輪を回すパラリンピック陸上競技は忍耐の連続だ。しかし韓国障害者陸上の看板ホン・ソクマン選手(33、済州道障害者体育会)はこの4年間、周囲の無関心と戦いながらパラリンピック2連覇を達成した。
11日午後、中国・北京のパラリンピックメーン競技場で開催された陸上男子400メートルT−53(車椅子トラック種目)決勝戦はホン選手のための競技だった。スタートから跳び出したホン選手は終始レースをリードし、一番で決勝点を通過した。電光掲示板に48秒86という世界新記録が表示された。パラリンピックメーン競技場に初めて愛国歌(韓国の国歌)が響いた。
北京オリンピック(五輪)の際には、ここでは一度も愛国歌を聞くことができなかった。障害者、健常者を問わず、陸上が弱い韓国でホン選手だけが世界のトップクラスにいる。2004年アテネパラリンピックの200メートルと400メートルで優勝したホン選手は、2006年極東・南太平洋障害者競技大会で400メートルと800メートルを、2007年スイス車椅子シリーズで200メートルと400メートルを制している。
ホン選手は自分を見守ってくれた家族にまず感謝の気持ちを伝えた。ホン選手は「優勝後のインタビュー中は妻と子どものことが頭に浮かんだ。16日が子どもの誕生日だが、1歳の誕生日以外には誕生日を祝ってやれなかった。今回もそうなってすまなく思う」と話した。
ホン選手の家族愛は格別だ。妻イデ・エツコさん(35)とは国境を越えて2005年6月に縁を結んだ。
2人は1998年の大分国際障害者車椅子マラソンで、選手とボランティアとして初めて出会った。その後、電話と手紙でやりとりが続いたが、2000年にイデさんが学業のために引っ越しし、連絡が途切れた。しかし2004年、待ち続けていた手紙がついに届いた。イデさんの心が込められた手紙には「返事がなければ、ご縁ではないと受けとめて心をたたむ」と書かれていた。天が2人の間を取り持ち、2人は結婚することにした。
しかし3歳の時に小児まひにかかり身動きの不自由な外国人婿に対し、イデさんの家族がいい顔をするはずはなかった。ホン選手は「妻の両親の反対が強かったので、自分を守ってくれたエツコには本当に感謝している」と話した。
イデさんは05年に結婚し、米国に留学するホン選手を支えた。米イリノイ大学(アーバナ・シャンペーン校)に留学するホン選手が先に渡米し、1年後に家族を呼び寄せるという計画を立てたが、イデさんは黙って支援した。当時、ホン選手は車椅子陸上団の選手と勉学を並行し、米国の先進的な障害者スポーツを学ぼうとしていた。しかし障害者チームがアマチュアレベルだったうえ、一人で家を守っているイデさんが心配になり、1カ月で留学を断念した。
家族の大切さを思い知ったホン選手はよりいっそう練習に励んだ。ホン選手は「以前はメダルを取れるか取れないかはあまり気にしていなかった。一人で暮らしていたので関係なかった。ところが家族ができ、自分の競技の結果によって生活が変わるとなると、おのずと責任感が湧いてきた」と語った。
「トラックは自分の職場、陸上は自分の職業」というのがホン選手の鉄則。優れた実力の持ち主であるため、ホン選手は障害者スポーツ選手の中でも珍しくアスリートとして生活している。家長として生計は自分が責任を負わなければならないと考え、練習の鬼になったのだ。
済州道(チェジュド)に住むホン選手は済州道開発公社の後援を受けている。中小企業の職員ほどの報酬だが、アテネパラリンピックで獲得した金メダル年金があるうえ、ホン選手の闘魂に感動した個人・企業後援者がサポートしてくれるので、ホン選手は決して孤独でない。
中央日報 Joins.com
2008.09.13 12:34:12
>小児まひにかかり身動きの不自由な外国人婿に対し、イデさんの家族がいい顔をするはずはなかった。
>中小企業の職員ほどの報酬
まあ、こりゃあどうでも良いが
>アテネパラリンピックで獲得した金メダル年金がある
南韓は貰えるんですね。日本はリハビリの一環と位置づけられるから貰えないらしい。
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