イタリア人は44年前に朝鮮人の・・
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/08/13 14:08 投稿番号: [7820 / 10735]
異常さに気づいていたんですね。
だから、「同じ半島人」という括りを厭がり、
「欧州の朝鮮人」の地位を阿蘭陀人に譲ったのか!
記事入力 : 2008/08/13 11:43:16
【萬物相】熱狂的な五輪中継
1960年のローマ五輪に向かったイ・グァンジェ・アナウンサーが、重量挙げの中継に臨んだ。中継席がなかったため、観客席に座ってマイクを取った。「韓国期待の星、キム・ヘナム選手がこれをクリアすることができるでしょうか、注目されるところです。お話している間に肩の所まで持ち上げました。そして、ついに成功しました。故国の地で応援していらっしゃる同胞の皆さん! お喜びください」
息を殺して見守っていたローマの観衆たちが、一斉にイ・グァンジェ・アナの方に目をやった。重量挙げのレフェリーも驚いた表情で近付いてきて、静かにするようジェスチャーしたという。
電波が短波だったため、イ・グァンジェ・アナの声はまるで波乗りでもするかのように大きくなったり小さくなったりした。それでも常に感動あふれる高いトーンで故国の視聴者の愛国心を刺激した。
当時は解説者が一人で16種目を中継した。ジェニス・ラジオや金星ラジオに町中の人々が耳を傾けた。男子バスケットボールの申東坡(シン・ドンパ)、女子バスケットボールの朴信子(パク・シンジャ)、キム・ギスの活躍に韓国中が沸き返った。イ・グァンジェ・アナ、イム・テックン・アナ、カン・チャンソン・アナはそれこそ国民的スターとなった。
アナウンサーたちにとっては、サッカーの相手チームがシュートを放てばいつでも「とんでもないシュート」であり、味方がシュートを放てば常に「ハラハラさせるシュート」だった。
テレビなど拝むことさえもできなかった時代、国民たちはひたすらアナウンサーたちのアナウンスを通じて試合の様子を想像し、それに没頭した。今では五輪の試合は、それぞれの種目別に経験豊かなアナウンサーと解説者が二人以上付いて中継されている。それだけ視聴者は試合に対する知識や微妙な試合展開までも楽しむことができるようになったのだ。
だからといって、古き良き昔の「愛国的中継」が影を潜めてしまったわけではない。いくら冷静沈着なアナウンサーと分析力にたけた解説者でも、自分の国の選手ががけっぷちに追い込まれているのを見て、冷静な口調で話を進めてばかりいられないのが、そもそも人間というものだ。
ところが最近、北京五輪の韓国人アナウンサーたちの中継をめぐって、いろいろなことが言われている。朴泰桓(パク・テファン)が水泳で金メダルを取った瞬間、あるアナウンサーは「やったー、ついに金メダルです。素晴らしい。泣いても構いません」と叫び、泣きじゃくった。その横で解説者はあまりの興奮に「わあ、わあ」と叫ぶことしかできなかった。
また、レスリングのある解説者は、まるでコーチが選手に指示するかのように「てめえ! 何やってんだ」と、終始ぞんざいな言葉でまくし立てた。相手に点数を取られようものなら「この野郎! お前はばかか」と、ののしった。「愛国中継」を通り越して「興奮中継」「ぞんざいな中継」との指摘が繰り返されている。
興奮は、そうでなくとも国民がしてくれる。アナウンサーや解説者が先に興奮してしまうと、見ている方はむしろ冷めてしまう。その昔の、イ・グァンジェ・アナやイム・テックン・アナのように熱狂的ながらも場をわきまえた中継が懐かしまれる。
キム・ドンソプ論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
何回読み返しても「共鳴」できない。
だから、「同じ半島人」という括りを厭がり、
「欧州の朝鮮人」の地位を阿蘭陀人に譲ったのか!
記事入力 : 2008/08/13 11:43:16
【萬物相】熱狂的な五輪中継
1960年のローマ五輪に向かったイ・グァンジェ・アナウンサーが、重量挙げの中継に臨んだ。中継席がなかったため、観客席に座ってマイクを取った。「韓国期待の星、キム・ヘナム選手がこれをクリアすることができるでしょうか、注目されるところです。お話している間に肩の所まで持ち上げました。そして、ついに成功しました。故国の地で応援していらっしゃる同胞の皆さん! お喜びください」
息を殺して見守っていたローマの観衆たちが、一斉にイ・グァンジェ・アナの方に目をやった。重量挙げのレフェリーも驚いた表情で近付いてきて、静かにするようジェスチャーしたという。
電波が短波だったため、イ・グァンジェ・アナの声はまるで波乗りでもするかのように大きくなったり小さくなったりした。それでも常に感動あふれる高いトーンで故国の視聴者の愛国心を刺激した。
当時は解説者が一人で16種目を中継した。ジェニス・ラジオや金星ラジオに町中の人々が耳を傾けた。男子バスケットボールの申東坡(シン・ドンパ)、女子バスケットボールの朴信子(パク・シンジャ)、キム・ギスの活躍に韓国中が沸き返った。イ・グァンジェ・アナ、イム・テックン・アナ、カン・チャンソン・アナはそれこそ国民的スターとなった。
アナウンサーたちにとっては、サッカーの相手チームがシュートを放てばいつでも「とんでもないシュート」であり、味方がシュートを放てば常に「ハラハラさせるシュート」だった。
テレビなど拝むことさえもできなかった時代、国民たちはひたすらアナウンサーたちのアナウンスを通じて試合の様子を想像し、それに没頭した。今では五輪の試合は、それぞれの種目別に経験豊かなアナウンサーと解説者が二人以上付いて中継されている。それだけ視聴者は試合に対する知識や微妙な試合展開までも楽しむことができるようになったのだ。
だからといって、古き良き昔の「愛国的中継」が影を潜めてしまったわけではない。いくら冷静沈着なアナウンサーと分析力にたけた解説者でも、自分の国の選手ががけっぷちに追い込まれているのを見て、冷静な口調で話を進めてばかりいられないのが、そもそも人間というものだ。
ところが最近、北京五輪の韓国人アナウンサーたちの中継をめぐって、いろいろなことが言われている。朴泰桓(パク・テファン)が水泳で金メダルを取った瞬間、あるアナウンサーは「やったー、ついに金メダルです。素晴らしい。泣いても構いません」と叫び、泣きじゃくった。その横で解説者はあまりの興奮に「わあ、わあ」と叫ぶことしかできなかった。
また、レスリングのある解説者は、まるでコーチが選手に指示するかのように「てめえ! 何やってんだ」と、終始ぞんざいな言葉でまくし立てた。相手に点数を取られようものなら「この野郎! お前はばかか」と、ののしった。「愛国中継」を通り越して「興奮中継」「ぞんざいな中継」との指摘が繰り返されている。
興奮は、そうでなくとも国民がしてくれる。アナウンサーや解説者が先に興奮してしまうと、見ている方はむしろ冷めてしまう。その昔の、イ・グァンジェ・アナやイム・テックン・アナのように熱狂的ながらも場をわきまえた中継が懐かしまれる。
キム・ドンソプ論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
何回読み返しても「共鳴」できない。
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